ヒューロの欠片  第二話 「パリの正義」 6
 
 運命は巡る。
 時代の意志、人々の願い。強い気持ちが折り重なって絡み合い、それはやがて歴史を動かす一つの大きなうねりとなる。
「くっ、全く不愉快だ。この感覚は」
 歴史が動く時、人々は必ず諍いを起こしては同族の屍を山と積み上げる愚行を繰り返してきた。
 ずっとマクシミリアンを監視して来たヒューロは、「革命」という大義名分の下で惨殺される数多くの凄惨な光景をも同時に見ている。そのたびに己の中に燻ぶる異物を感じては、眉間に皺を寄せた。
 暴徒と化した民衆に腹を引き裂かれる貴婦人、寄ってたかって覆い被さられて原型が分からなくなるまで石で殴り続けられた紳士。怯えて四散するフランス衛兵隊の代わりに闘ったスイス人傭兵は取り押さえられ、鎖に繋がれて処刑場へ引っ立てられていく。
 混乱はパリの中だけではない。フランスの地方都市にも殺戮の波は時間差で押し寄せ、「悪い市民」と決め付けられた多くの民衆が断頭台に上がり、または銃殺された。
 パリの死者が二千六百程度というのに比べ、ヴァンデでは八千六百、ナントでは三千五百。
 中央の革命家たちの目の届かぬところで実に多くの殺戮が横行し、そして国外でもフランスに踏み入ろうとする諸外国との戦争が幾度となく続けられていたのだった。
 断末魔の叫びが世を覆いつくし、人の命が塵くずのように簡単に捨てられて行く。
 そんな光景を見るたびにヒューロは我知らず血に酔いしれ、更なる殺戮を求める渇望感に魅了された。
 取るに足りない生き物である人間がどうなろうと知ったことか。
 人間に対する関心は殆どなかったはずなのに、時々押し寄せてくる異物めいた感情が不快で不快でたまらなかった。
「これは私の感情ではない、私の望みではない!」
 小さな心に馴染まぬどす黒い感情に苛立ち、回りの闇を手から放った閃光で打ちつける。
 それは漆黒の壁に緩やかに吸い込まれ、音もなく消えていった。
 少年自身のものではない感情。――――では誰のものだ。
 ヒューロは何らかの理由によって身体を四散させられた。その欠片に別のモノが混じっていたとでもいうのか。
「それとも、元々私は二つの心を持っていたとでも?」
 可能性を口にして、ヒューロは口元を奇妙に歪めた。
「面白い。全ての欠片が集まったその時、私は一体何者になるのだろうな」


 会議場に罵声が轟く。
「暴君を倒せ!」
「暴君を倒せ!」
 大公安委員会を率い、独裁政治を敷いて規律を守らせることで国内を、ひいては国外にいる敵から祖国を守らざるをえなかったマクシミリアンを非難する声だ。
 一七九四年、テルミドール八日(七月二十六日)。
 巡り巡って、運命の日が再びマクシミリアンに訪れた。
 このままでは自分が静粛に遭いかねないと察した政治屋達が、こぞって彼に反旗を翻したのである。
 興奮する他の議員達の中でマクシミリアンは驚くほど落ち着いた様子で発言を求め、それが三度まで却下された後、黙って立ち上がった。
 瞬間、机が壊れんばかりに叩きつけられた靴音に皆が一斉に静まる。
 足で机を踏むような無粋なことはしない。腕っぷしの弱いマクシミリアンは、脱いだ靴の厚いヒールを思い切り机にぶつけたのだ。
 周りの雑音が消えたことを確認すると、マクシミリアンは満足げに微笑む。そして優雅な一礼をしてみせた。
「失礼、諸君が興奮されておられるようなので少し手荒なことをしてしまいました」
「同志ロベスピエール」
 横に座ったまま驚いたように見上げていたサン・ジュストが服の裾を引っ張った。小さく顔を横に振ってそれを制すると、マクシミリアンは大きく息を吸い込んで顔を上げる。
「諸君は私を独裁者だという、それも一理あるだろう。しかし相次ぐ連邦主義者の反乱、食料危機、厚かましくも我がフランスを狙おうとする諸外国の危機から脱するには、急造革命政府の統制は余りにも脆過ぎた」
「だからと言って独裁が許されるというわけではないぞ!」
「シトワイヤン・フーシェ」
 その声に、マクシミリアンは自分より階下の席にいる男に視線を移した。
「あなたは派遣議員としてパリからリヨンへ赴き、そこで何をした。派遣の目的は新兵募集と食料供給であったはずなのに、大砲まで持ち出して半年で千八百人を無意味に殺した。本来は守るべき民を、それも裁判にもかけずに!」
 始めの野次こそ威勢が良かったが、マクシミリアンの弾劾にフーシェは両の眉を下げ、冷や汗を額に浮かべて口をパクパクとさせる。
「シトワイヤン・タリアン!」
 身体をぐいと右に向け、マクシミリアンが大声を張り上げながらに指差さした小男はひぃと小さな悲鳴を上げた。そのうろたえ様を見て、彼は口元に笑みを浮かべる。
「分かっている、この茶番の黒幕があなただということは」
「う、嘘だ。あなたは私に何の言いがかりを付けようというのだ」
「シトワイエンヌ・カバリュス」
 テレーズ・カバリュス、元フォントネ伯爵夫人。元々熱心な革命家であったタリアンを堕落させた女。
 派遣議員としてボルドーへ赴いたタリアンはテレーズに出会ってから骨抜きにされ、投獄する対象である彼女とその知人を不正に釈放し己の私服まで肥やすようになった。この事が発覚する前にこちらから攻撃に出てやろう、それが今回の反乱のきっかけなのである。
「う、嘘だ、嘘だぁぁぁぁ!」
 嬌声を上げながらタリアンは立ち上がり、目の前の書類を掴んで投げつけた。しかしそれは当然離れた位置にいるマクシミリアンには届かず、タリアンの一つ前の座席にいる人物に降りかかったのみである。
 恐怖で口から涎を垂らし目を剥き出しにして暴れ始めたタリアンを、周囲の人間が慌てて取り押さえた。そのまま彼は会議室から連れ出されてしまい、一同は驚いた様子で見送る。
 しかしタリアンよりはフーシェの方が幾分かは胆が据わっていた。
 彼は事前に裏取引をした多くの議員にへその隙に合図を送り、一斉に立ち上がる。
「みな目を覚ませ、ただ一人の人間が国民公会の意志を麻痺させている。彼を裁くべきだ!」
「そうだ、独裁者を倒せ!」
「倒せ!」
 再び怒声が湧き出し、あっという間に伝播した。ここで引いたら命が危ない者ばかりなのだから必死になるのは当然だ。
 異様な雰囲気が立ち込める中、それまで黙って座っていたサン・ジュストが立ち上がる。
「ここは危険です、出ましょう同志ロベスピエール」
 端正な顔立ちの若い革命家を振り返ると、マクシミリアンは苦笑した。
「もう少し色々言いたかったが、これが限界かな」
 そうして彼らは逃げるように荒れ狂う会議室を後にしたのだった。


 水色の屋根に横長の構造。中央の棟だけがひときわ大きく突き出し、左右に優美な丘陵を描く。
 夜の色が濃くなる深夜二時過ぎ、闇の中で悠然と構えるそのパリ市庁舎に比べ周囲を取り囲む大砲や軍人の持つ銃たちの何と無粋なことであろう。
「何故ですか、同志ロベスピエール!」
 サン・ジュストは美しい眉を吊り上げたまま、目の前の古びた机を一叩きする。その振動で上に置かれていた指令書とインク壷、羽ペンなどがわずかに移動した。
 その後逃げ込んだパリ市庁舎の大部屋で、マクシミリアン以外の人間は埒も明かない議論を繰り返しては悲嘆に暮れている。
「もうこれ以上人々が血を流す必要はないのだ、同志サン・ジュスト」
 政治の反乱分子はフランスから殆ど姿を消し、対外戦争も今やフランス共和国軍は常勝を続けていた。
 危機が去った今、民は血の臭いに嫌気が差し始めている。マクシミリアンは正確にそれらのことを把握していた。
 もう恐怖政治も、これ以上の暴動も起こす必要はないのである。
「それにしてもあなたにしては迂闊過ぎです。自ら『独裁』という言葉を使うだなんて」
「兄上、分かっていたなら何故もっと早く彼らを議会で追及しなかったのです。やはりひと月も議会を休むべきではなかったのですよ」
「もっともだ。いや、すまない」
 サン・ジュストと実弟のオーギュストに次々と窘められ、マクシミリアンは苦笑する。
 オーギュストもまた兄と同じように弁護士を経て国民公会議員となり、共に逃げてきた一人だった。
 しかしマクシミリアンは未だ民衆の支持を多く受ける正義の政治家であり、助けようと命も顧みず集まってくれる人々もいる。それは素直に嬉しいと思えることだった。
「ポケットに何か?」
 先ほどから兄がジュストコールのポケットを上から触れたままでいることに気付き、弟が首を傾げる。本人は自覚がなかったようで慌てて手を離すと、小さく首を振った。
「いや、何でもない」
「さあ、早くこれにサインを」
 パリ市民へ救済を求める指令書を目の前に突き出され、マクシミリアンは溜め息をつきながらもペンをとる。その時だった。
 大地が揺れた、そう思った。
 しかしすぐに、大砲の衝撃音なのだと自覚する。突然市庁舎のバリケードを突き破り、国民公会の指揮するフランス軍が建物内に侵攻を始めたのだ。
 軍靴が床を踏み鳴らす足音が地鳴りのように聞こえる。
 あっという間にドアが蹴破られ、室内に青い軍服の津波が一気に押し寄せた。
「同志ロベスピエール、早く、こっちです」
 煌く白刃の脅威が次々と人々を襲い始める。サーベルがあちこちで振り下ろされるたび、鮮血が石の床の上に舞い散った。
 開け放たれた入り口付近には長い銃を構えた軍人が一列に並び、逃げ惑う人々を銃口が狙う。
「やめろ」
 腕を引っ張るサン・ジュストの力強さを感じながら、マクシミリアンは呆然と眼前の光景を眺めやった。
「やめてくれ、こんなことは無意味だ」
 眉間に皺を寄せ頭を振るマクシミリアンの眼前に、その時何かが飛び込んでくる。
 少年だった。しかし立派な軍服に身を包んだその手には短銃を構え、正確にこちらを狙っていることが分かる。
 発砲音は思ったより小さく、マクシミリアンは自然と目を閉じる。
 衝撃は――――なかった。
 弾はぎりぎりの所を逸れ、後ろの柱に小さな窪みを形成する。
 ぴしりとひびが入る音が耳元で聞こえた。
 マクシミリアンは、目を見開く。
 大きく息を吸い込み、腹の底からあらん限りの大声で怒鳴り声を上げた。
「止めろ、私は逃げも隠れもしない!」
 両の腕を広げ、亜麻色の瞳が輝きを増して睨みを利かせる。後方にいた指揮官を視界に捉え、その目を射抜いた。
「これ以上殺すな」
 マクシミリアンは成人男性としては小柄な方である。しかし隣にいたサン・ジュストの目には、一瞬彼の姿が大きくなったように見えた。
 その美貌により革命の大天使と後に呼ばれたサン・ジュストは端正な口元を綻ばす。ああ、この姿こそが自分が憧れた革命の志士の真の姿なのだと。
 そして彼らは仲間の死傷者を、軍が予想していたよりも遥かに少ない数に押さえて逮捕された。
 引き立てられて行く革命家達は胸を張り、背筋を伸ばし、威厳に満ち溢れた立派なものだったという。
 それは固唾をのんで状況を見守っていたパリ市民達の、深い深い溜め息を誘った。

「結局、同じ道を辿るか」
 押し込められた独房のベッドに腰掛け、マクシミリアンは今静かにその時を待っている。彼も、彼の弟や仲間のサン・ジュストらも皆、夜が明けるまでの短い命だった。
「やはりお前、記憶が戻っているな」
 突然甲高い子供の声が背後から聞こえ、マクシミリアンは驚いたように振り返る。
「赤髪の天使」
 彼の背後、腰掛けたベッドの空いたスペースに立っていたのは古代ギリシアの民族衣装を着た少年神だった。
「何故ここに?」
「まだお前の運命は決定していない」
 首を傾げるマクシミリアンを見やりながら、ヒューロはふわりと宙を舞って床の上に降り立つ。
「記憶が戻っていることで確信した。お前にとって最大の人生の岐路が、再びこの後に控えているはずだ」
「しかし私は」
「一度違う選択をすれば、その後の人生は全く違う道を辿るはず」
 しかし最大の人生の岐路を変えたはずのマクシミリアンは、ほぼ同じ道を辿ってきたと言えた。それは何故か。
「時代がお前を呼び戻した」
 再び強引に引き戻された時の力に巻き込まれ、ヒューロの探す欠片もまた新たな岐路に姿を消した。厄介なことだが、既に起こってしまったことなのだから仕方がない。
「私がお前を二度助けた偶然さえもまた、今となっては必然か。……ふん、余程お前はこの時代に必要な人間だったと見える」
 そうして少年は再びどこへとなくかき消える。またあのほの暗い時の狭間で事の成り行きを見守るのだろう、マクシミリアンはそう思った。
 記憶が戻ったのは、革命広場でマリアンヌと別れた後だった。徐々に時間が経つにつれて鮮明になり、マクシミリアンは自分が結局同じ人生を歩まざるをえなかった自分を知った。
 しかしたった一つ、大きく違うことがある。
「それでも彼女は生きている」
 二十年前の不審な馬車にマリアンヌが連れ去られていたら、赤髪の天使が戯れに見せたあの悲惨な光景のように彼女はどこかに監禁されたまま病死していたに違いない。
 確実に一つの命を助けることができた。自分の人生は、それだけで満足するべきなのだろう。
 それが決して、二度と手に入れることができない存在であったとしても。
 格子の向こうの通路から人の気配を感じて、マクシミリアンは視線を上げた。
「良かった、同志ロベスピエール。早くここを出ましょう」
 二人の男だった。憲兵の制服を着た方が手早い動作で牢の鍵を開けるのを呆然と見やり、呟く。
「どういうことだ」
「あなたは死なすには惜しい人だ、「清廉の人」こそが私たちパリ市民の誇りなのです」
 清廉の人。マクシミリアンの潔癖なまでの正義を貫くその姿勢は人々にそう称されていた。ここコンシェルジュリ牢獄の憲兵隊達の中にも彼を信ずる者は多く、その一部と外部の革命家達の支持者が手に手を取ってマクシミリアンを助け出そうとしているのである。
「いや、しかし私は」
 牢の出口が開かれ、手を引っ張られながら困惑する。
「とりあえず、デムーラン夫人の持っておられる南フランスの別荘へ身を隠してください」
「デムーラン……夫人?」
 マリアンヌが自分を助けようとしているのか、彼女の夫を死に追いやった自分を。
 動揺に唇が震える。しかし湧き上がる罪悪感を追いかけるように、マクシミリアンの心を侵食していくものがあった。
 初めて彼女と手を繋いで歩いた遥かなるパリの夕暮れ。その時におぼろげながらに浮かんだ、決して叶うことのなかった小さな願い。
 マリアンヌと共に生きていくことができるかもしれない。
 二十年という果てしない時間の遠回りをして、再び二人の人生が交わろうとしている。
 上着のポケットに手を当ててはっきり答えを出せないまま、マクシミリアンは大きな黒い布を頭から被せられ、引っ張られるままに歩いていく。
 夜明け前の牢獄。正規の通路ではなく役人のいない食料搬入路を進む。そして数時間ぶりに肌が外気に触れた時、東の空は薄ぼんやりと明るくなり始めて夜明けが近いことを告げていた。
 後ろを守るように歩いていたもう一人の男が、何かを拾ってマクシミリアンに差し出した。
「同志ロベスピエール、これを落とされましたよ」
「ありがとう」
 それは周囲がぼろぼろに擦り切れた、一枚のしおりだった。
 手を当てていたのとは反対のポケットに入っていたものが、何かの拍子に落ちたらしい。薄い紙の下に透かして見えるのは、すみれ色のリンドウの花びらだった。

「それリンドウですよね、『正義』の花だ。マクシムにぴったりですよ」

 蘇る元気の良い声。窓から差し込む日差しに黒髪が絹のように輝いて、過ぎ去りし日の少年はそう語った。
「正義の……花」
 突然歩みを止めたマクシミリアンに、前を行く憲兵の制服の男が振り返る。
「どうしたんです、夜が明け切る前に庭を抜けてあの壁を越えなければ」
 彼が指差したレンガ造りの高い壁は、コンシェルジュリ牢獄をぐるりと取り囲んで外界との境界線になっていた。それを越えた先に見えるのは、母なるセーヌ河である。
 朝日に照らされる大河はどんなに美しいだろう。口元を綻ばせた後、彼は上着のポケットの中からあるものを取り出した。
「これをシトワイエン……いや、マダム・デムーランに渡しておいてくれ」
 憲兵の制服を着た男の手に銀のロザリオを乗せると、マクシミリアンは微笑む。
「アデュー、そしてごめん。と」
 踵を返し、元来た道へ一人歩み始めるマクシミリアンを慌てて皆が押し留める。
「待って下さい、あなたはみすみす死にに行くのですか?」
「これからでも再起を図ることはできます、私たちを導いて下さい」
 慌ててまくし立てる彼らにゆっくり振り向くと、マクシミリアンは静かに答えた。
「私は、私の役目を最後まで全うする義務がある」
 彼らは見張りに気付かれないように小さな声で喋っていた。その時のマクシミリアンの声とて特に大きくはなく、押し殺された低いものである。
 しかし彼を救いに来た二人はその一言に圧倒され、言葉を失った。マクシミリアンが人生をかけて導き出した一言に抗う言葉など、出てくるはずもなかった。
「諸君らも危険を顧みず私のことを救おうとしてくれてありがとう。君たちが無事にここから脱出できることを、私は神に祈っている」
 ピンと張った背中、ゆっくりと歩む優雅な物腰。革命の英雄が再び建物の中に姿を消すまで、彼らは虚しく庭木の中から見送った。
 不意に光が差し込み、暗い建物の中に踏み入ろうとしていたマクシミリアンの足が止まる。東の空に太陽が昇り、世界は再び生まれ変わろうとしていた。
 正義だけでは国は成り立たないのかもしれない。
 自分たちは変化を急ぎすぎたのかもしれない。
 それでも革命が無意味なものだったとは思いたくはない。人々の為に、大切な人の為に。
 血に荒れ狂う今のパリの暴走を止めるには、象徴的存在である彼自身が消えることが一番確実な方法だった。
「お前だけは最期まで付いてきてくれるか?」
 しおりのリンドウの花びらを眺め、マクシミリアンは再び歩き出す。
「待たせたなダントン、そしてカミーユ」

 一七九四年、七月二十九日。
 実弟のオーギュスト、サン・ジュストらと共に、フランス革命の英雄が断頭台の露と消えた。
 マクシミリアン・ド・ロベスピエール。
 人々は彼のことを尊敬の意を込めて「清廉の人」と呼ぶ。


 エピローグ

 闇の壁を突き抜けて、自ら光を発する小さな星の欠片が宙を舞う。
 迷いもなく赤髪の少年の身体にそれは飛び込むと、中で同化するように小さな明かりを灯しながら燃え尽きていった。
「意外に手間取ったな」
 先ほどまでじっと見つめていた空間の窓を閉じると、ヒューロは黙り込む。
 少年にはマクシミリアンの選択が意外だったのだ。そのまま好きな女と逃げて終生暮らせば良かったものを、何故あそこでわざわざ引き返すのか理由が全く分からなかった。
 人間は自分の欲望の為にのみ動くもの。低俗な存在でしかないと思っていたはずが、実は認識が少し違っていたのかもしれないと小さな心が揺れている。
 しかしマクシミリアンが命をかけてまで守ろうとしたものが具体的に何であるのか、いまひとつ理解できない。
「人間が生きる意味とは何だ」
 人間として生きた覚えのない彼にはその気持ちは永遠に分からない。
 しかし確実にヒューロの心は以前よりも人間に対する関心が高まっていた。
 瞬間、ヒューロの全身を目映い黄金の光が包み込む。少年は途端に苦悶の表情を浮かべ、小さな膝を片方地に着かせた。
「くそっ、またか」
 毎回欠片を取り戻すたびに、身体と心を組み替える反動が激痛をもたらしていた。
 しかしそれもすぐに収まり、額の汗を手で拭いながらヒューロは立ち上がろうとする。だが両の手で顔を覆い、そのまま崩れるように座り込んでしまった。
 震える細い肩、闇に吸い込まれていく小さな嗚咽。あどけない指の隙間からこぼれるものは、透明な涙。
「僕はたくさんの命を奪った。だから、だから」
 しゃくり上げ、エメラルドの瞳から数え切れないほどの涙の粒をこぼしながらヒューロはは叫ぶ。
「だから僕は両親に殺された!」
 小さな心が悲鳴を上げる。
 他に誰もいない時の狭間で、ヒューロはただ一人泣き続けていた。

 ――――残す欠片は、あと二つ。



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