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● キッズ・ヒーロー --- 壱、その名は「マサル」 ●

壱、その名は「マサル」
 
 いつもと変わらぬ帰り道。その途中でボクはある日、とんでもないものを拾ってしまった。
「おい、お前、何をぼーっと見ている。とっとと助けんか」
 偶然見かけたその光景に口をぽかんと開けたまま眺めていたボクに、そいつは不機嫌そうな視線を向ける。
「君、大丈夫?」
「大丈夫なわけ無かろう」
 そう偉そうに答えた相手は、道の側溝にずっぽりと体がはまり込み、身動きが取れなくなっている幼稚園児だった。
 随分と横柄な態度の子供だなとは思ったけれど、そのまま通り過ぎるのも気が引ける。
 結局ボクはその子の脇に手を入れて一気に引き上げてやることにした。
「痛い、痛い」
「あ、ごめん」
「ごめんで済むか!」
 園児に怒鳴られて、ボクは顔をしかめる。
 変だな、何で助けたボクが謝ってるんだろう?
 園児は服の汚れを払い、腕を組むとボクを見上げた。
「まあ、一応助けてもらったわけだからな、礼を言っておく」
「はあ、そうですか」
 真っ直ぐ見上げた黄色い帽子の下に見える大きな目は、何とも力強く……というか威張った様子でボクを見据える。
「オレ様は天王寺マサルだ」
「……ボクは小玉ひろし」
 マサルと名乗った園児は、小さくフッと笑った。
「いかにも小市民的な名前だな」
「大きなお世話だ!」
「まあ、この礼はいずれ返すこととしよう。じゃあな、ひろし」
 そう言うとマサルは黄色い帽子をかぶり直し、濃紺の園服を翻してその場を去って行く。
 ボクは口が半開きになったまま、呆然とその小さな背中を見送った。
「何だったんだ、あの子供……」

 ―――それが、ボクとマサルの出会いだった。

  *

 ボクは今年で一四歳になる、中学二年生だ。
 成績は並、運動は中の下、顔は平凡……と、何となくいい所が無い感じなんだけど、やっぱり今もそんな状況なのかもしれない。
「ひろしー、俺たち何か腹減っちまってよう、ちょっとそこのコンビニ行って何か買ってきてくんない?」
 学校からの帰り道でそう声をかけてきたのは、いつも何かとボクに絡んでくる田仲たちだった。
 いつも「学校つまんねー」とか言いながら、学校のいたる所でたむろしている、ちょっとつっぱった感じの人々である。
 彼らはコンビニの広い駐車場の一角に座り込み、その周囲には色々なゴミが散乱していた。
「でも、ボク今から塾あるし……」
 遠慮がちにそう言ったボクの言葉に、さっきまでニヤニヤしていた田仲は一瞬の内に目を吊り上げてこう言う。
「俺たち、友達だろ?」
「……うん」
 ――ボクは、こんな自分が嫌いだった。

 その時ちょうど見知った人物がそこを通りかかって、ボクは目を輝かせる。
「あ、いっき……」
「よー、一期(いっき)! 寄ってかねー?」
 ボクの声を遮るように田仲が大きな声で彼に呼びかけ、一期は「やめとく」と短く答えただけでそのまま行ってしまった。
 一瞬だけボクと視線が合ったけど、すぐに目を逸らされてしまった。少し悲しい。
 彼、永島一期はボクの幼馴染で、でもいつの間にか話すことも少なくなって、随分と遠い存在になってしまった人だった。
 だって、今こうしてボクに絡んでくる田仲たちのリーダーは誰であろう、彼なのである。
 本当は結構いい奴のはずなんだけど、二年前両親が離婚して以来、いつの間にか彼はあっちサイドの人間になってしまった。
 一期は背も高いし腕力もある。面倒見のいい奴だから、田仲君たちに慕われるのも分かるけど……。
 ボクは、心の中で溜め息をつかずにはいられない。
 人は、こうして変わってゆくものなのだろうか、と。
 
 結局ボクはなけなしのお小遣いを使って、田仲たちの為にコンビニで買い物をした。
 お菓子とジュース、菓子パンの入った買い物袋を下げて店から出てくると、そこには何故かいつかの幼稚園児、マサルが仁王立ちしている。
「こんなところでどうしたんだ、マサル」
 ボクは膝を曲げてマサルと同じ高さの視線でそう尋ねたが、マサルは何だか随分と怒っている様子でボクを睨み付けた。
「お前は、こんな阿呆どもにそれをくれてやるつもりか?」
 それは結構大きな声だったので、当然田仲たちにも聞こえたらしく、彼らはいきり立つ。
「何だとこのガキ、泣かされたいのか?」
「お前は引っ込んでおれ、邪魔だ!」
 幼稚園児とは思えないその尊大な態度に、田仲は顔を耳まで真っ赤にして怒りを顕わにした。
「ちょ、ちょっと田仲君。小さい子の言う事なんだから、そんなに怒らなくても……」
「お前は黙ってろ!」
 田仲ばかりか、マサルにまで同時にそう怒鳴られて、ボクは口を開けたまま声を失う。
 ああ、ボクって気が弱くて、自分でも本当に嫌になる。
 マサルは田仲たちに向き直ると、左手を腰に、右手で彼らを指差して言い放った。
「ここはチューシャ場という、車を止めるための場所なのだ。お前たちのような阿呆どもが座る所では無いというのを知ってるか?」
「ああ?」
「なるほど、阿呆には少し難しかったようだな。まあ、今回は大目に見てやるから、とっとと消えるがいい」
 シッシと手を振ってみせる幼稚園児の襟ぐりを田仲は無造作に掴み、まるで猫でも扱うように持ち上げた。
「いい加減にしとけや、コラ」
 眉間をピクピクさせながら、田仲はマサルを睨みつける。
 ボクはマサルを助けなければと思ったけど、田仲に殴られるのが怖くてなかなか一歩が踏み出せない。
 こんなボクは最低だ、いつもこんな調子だからダメなんだと分かっていたけれど、動かない足を睨みつけてコブシを握り締める、その時だった。
「よくよく、阿呆だな。お前」
 マサルはそう不敵に笑うと、黄色い通園バッグから何かを取り出したのだ。
 それを両手で構え、田仲の眉間に押し付ける。
「ピストル!?」
 ボクは驚きの余り叫んでしまったが、すぐに玩具のエアガンなのだと気付いて安心した。
 大体幼稚園児が本物を持っているはずが無いのだから、思わず声を上げてしまった自分の小心が恥ずかしい。
 マサルは何の躊躇いも無く、エアガンを田仲の眉間に撃ち込んだ。
 一発の弾けた空気音と共に田仲はもんどりうち、そのまま後ろに倒れ込む。
 倒れる前に田仲の手から自由になったマサルは、優雅に着地してポーズを決めた。
「安心しろ、ミネ打ちだ」
「銃にミネ打ちができるかー!」
 ボクは慌てて田仲を覗き込んだが、どうやら気絶しているようだ。
 眉間には、はっきりと小さな丸い穴の跡が付いている。もしかしてこれ、結構強力なんじゃないのか?
 心配そうな顔をした顔をしたボクに、マサルはまた不敵に笑った。
「キングコブラ『アルティメットシルバー』。モデルガンマニアもなかなか手に入れられない一品だが、実物は少しオレ様には重くてな、特注で軽量化したものをエアガンに仕立てて作らせたのだ。弾もBB弾ではなく、特注のゴム弾だ。その分威力も弱くなってしまったが、まあ仕方ないだろう」
 ボクは何だか頭が痛くなってきた。
 どうして幼稚園児がモデルガンにこんなに詳しいんだ。そして何故、特注?
 いや、それよりも普通、通園バッグにエアガンを仕込んでおく園児など、日本中探してもどこにもいないだろう。
「お前達も喰らいたくなかったら、とっととこの阿呆を持って帰るんだな」
 そう言いながら、マサルは既に二発、三発と田仲の仲間に向かって撃ちつける。
「ちょ、ちょっと待てよ。そういう時は撃つフリだけして脅すもんだろう!」
 慌てて逃げ惑いながら彼らがそう抗議すると、マサルは高笑いをしながら彼らを見上げた。ああ、何か変な感じ。
「ひろしはオレ様の下僕だ。オレ様のものを勝手にどうこうしようとする者は、オレ様が許さん。徹底的に叩き潰す!」
 ボクは一瞬、マサルの言葉が理解できなかった。
 今こいつ、何て言った?
「ぼっ、ぼ、ボクが下僕!?」
 いつの間に? どうしてボクが幼稚園児の下僕にされてるんだ!?
「この間助けてもらった礼だ。気にするな」
「だからどうして助けてやった礼が、お前の下僕なんだよ! そんなバカな話があるか!」
「しかし現にこうして、お前を阿呆どもから守ってやったじゃないか」
 マサルが指差した先には、気絶したままの田仲を担いで既に逃げ出す仲間の後ろ姿があった。
 ボクはあろうことか、幼稚園児に救われてしまったのである。
 呆然とするボクの太ももを、マサルはポンポンと軽く叩いた。
「あいつらがまた何か仕掛けてきたら、オレ様に言えよ」
 そう誇らしげに胸を反らす幼稚園児を見て、ボクは激しく自己嫌悪に陥ったのは言うまでも無い。

  *

 ボクは弱い。いじめっ子にも毅然と立ち向かうことができない弱虫だ。
 だからって神様、この仕打ちはいくらなんでもひどいと思う。
「何だ、ひろし。食べないのか?」
「食べてるよ」
 公園のブランコに乗りながら、ボクたちは田仲たちの為に買ったお菓子や菓子パンを食べていた。
 何だかもう、今日は塾に行く気になれない。
 隣でクリームパンをほおばっている園児に、ボクはほんの少し前「下僕」呼ばわりされてしまった。
 助けてもらってなんだけど、ここはやはり反論するべきなんだと思う。ボクはマサルの方を見て、どう言うべきか言葉を探した。
「何ひゃ、何ひゃ言ひひゃいほほへほはひゅひょひゃ(何だ、何か言いたいことでもあるのか)?」
 口いっぱいにパンを詰め込んだまま、マサルはでっかい目でボクを真っ直ぐに見上げる。
 その強い眼光に射抜かれて、ボクは思わず視線を逸らす。そしてそのまま手に持っていたお菓子をまた食べ始めた。
「ううん、何でもない」
 ―――神様、ボクは本当に弱虫です。
 中学二年生にもなって、幼稚園児の眼力に負けました。
 しばらく立ち直れそうもありません。

「おやおや、僕達。何だか随分と沢山食べ物を買い込んだね」
 落ち込んで地面を見つめていると、頭上からおばあさんの声が聞こえてきてボクは顔を上げる。
 ニコニコと笑って何だか人の良さそうな雰囲気に何となくホンワカし、ボクは持っていたビニール袋の中からカップケーキを取り出して差し出した。
「あの、よかったどうぞ」
「あら、何だか気を遣わせちゃったみたいだね。かえって悪かったかしら」
 そう言いながら、そのおばあさんは遠慮がちにボクの手からカップケーキを貰い受ける。
「ありがとうね、僕」
「いえいえ」
 このおばあさんどっかで見たことがあるんだけど、誰だったっけ?
 内心首を傾げながらも、ボクは表面上は愛想笑いを崩さない。
 おばあさんは包装を開けると、とても美味しそうにカップケーキを一口食べ、二口食べ、そして三口目にその動きを止めた。
「う……、ううぐぐぐ……」
 食べかけのカップケーキを落とし、両手で喉元を押さえて半分白目になる。口の端から泡を吹き、皺枯れた喉元に浮かび上がる太い血管の筋。
 その人を呪い殺しそうな形相は、つい先日テレビで見た日本のホラー映画のお化けとうり二つだった。
「ひえっ!」
 本能のままにボクは思わず後ずさりしてしまったが、数秒で我に返るとおばあさんに駆け寄る。
「おばあさん、大丈夫?」
 でもおばあさんはそのまま地面にへたり込み、ついには横倒しになって動かなくなってしまった。
「きっ、きききき救急車ー!」
 慌てふためくボクとは対照的に、マサルが落ち着き払って言う。
「何だ、もう死んだのか?」
「そんな事分かんないよ! でもこのままにしておいたら本当に死んじゃう……って、お前は何をしてるんだー!」
 マサルはあろうことか倒れたおばあさんに向けて、さっき田仲に発砲したコブラの銃口を向けていたのである。
「いや、刺激を与えれば生き返るかもしれないと思って」
「そんなわけ無いだろ!」
 っていうか、本当に死んでたら困る。そしたらボクは、カップケーキで老女を殺した「少年A」になっちゃうじゃないかー!
「うあぁぁぁ、どうしよう!」
「何だい、最近の若いもんは冷たいねえ」
「え?」
 顔を青くさせているボクに投げかけられたその声で振り返ると、さっきまで白目で泡を吹いていたおばあさんが起き上がるところだった。
「ぎゃー、生き返ったー!」
「バカもん、初めから死んどりゃせんわ」
「え、あ、あの?」
「お茶」
「は?」
「お茶、って言ってるの」
「あ、ああ、お茶ですね。ジュースしかないけど」
 慌てて買い物袋からジュースのペットボトルを取り出すと、ボクはおばあさんにおそるおそる渡す。
 そして伺うようにおばあさんを見ながら、ボクはそっと首を傾げた。
 何か変だ。さっきまでとは全然雰囲気が違うような?
「大体あんたね、老人にこんなパサパサしたものを食べさせる時には、飲み物も一緒にあげるってのが筋ってもんだろう」
 そんな筋は聞いたこと無かったけど、何だか反論できない雰囲気にボクはそのまま黙っていることにする。
「まあ、これで身に沁みたと思うけどね。ひゃっひゃっひゃっ」
「―――あ」
 その高笑いで、ようやくボクはこのおばあさんの正体を思い出した。
 確かこの公園の近くの細川さんちのおばあさんで、静江ばあさん。通称「しずバア」と呼ばれている意地悪ばあさんだ。
 しずバアん家のお嫁さんがいつもコケにされていて大変な目に遭ってるって、ボクのお母さんが噂話していたのを聞いたことがあったのだ。
 しずバアの特技で有名なのは確か、「死んだフリ」と、「困った時のぼけたフリ」である。
 ボクたちはまんまとそれに嵌められてしまったというわけだ。
 マサルがコブラを構えたまま、しずバアを見上げた。
「おい、ばばあ。オレ様を騙そうとは、いい度胸じゃないか」
「ばか、マサル。そんなものを簡単に人に向けるんじゃない。大体お前は、全然心配なんかしなかっただろ!」
 しっかり騙されて力いっぱい心配したのは、このボクだけだ。悲しいことに。
 だがマサルはボクの制止をものとせず、いきなりコブラで一発撃ち放した。
 いくらしずバアでも、これが当たったら心臓発作でも起こして死んでしまうんじゃないか。ボクの脳裏に不安がよぎる。
「あまい!」
 しかし、しずバアは持っていた手提げカバンを盾にして、何とその弾を弾き飛ばしたのである。
 ボクは一瞬、自分の目を疑った。
 それは本当に老人なのかと思えるほどの、俊敏な動きだったからだ。
「ふん、なかなかやるじゃないか、こわっぱ。でもあたしのこの攻撃を防ぐことができたら褒めてやるよ」
 そう言うとしずバアは急に大きく口を開け、大きく息を吸い込んだ。
「何だ、何が来るんだ?」
 事態は既に、ボクの手に終えない状況にある。
 一歩引いた所からボクは二人の戦いを見守り、かつ、自分の身を守ることにした。
「かあぁぁぁー!」
 しずバアの雄たけびと共に彼女の口から飛び出した謎の物体に、マサルは正確無比な射術で撃ち返した。
 コブラに撃たれたソレは大きな弧を描き、物凄いスピードで公園の外まで飛んでいく。
 その先にある人影を認めて、ボクは叫んだ。
「一期君、危ない!」
 ちょうど公園の外の歩道を歩いていたボクの幼馴染の一期は、マサルが跳ね返したしずバアの攻撃をまともに後頭部に喰らって倒れこんだ。
 慌てて駆けつけてみると、ソレは一期の頭に喰らい付くようにしてめり込んでいる。
 何かと言えば、しずバアの、入れ歯だ。
「あの……、大丈夫?」
 倒れた衝撃で額から血を流しながら、一期はゆっくりと上半身を起こす。
「……これが、大丈夫に見えるか?」
 かなりの勢いでしずバアの入れ歯は喰い込んだと見え、彼が起き上がってもそれは自然落下することは無かった。
 これはボクが取ってあげるべきなんだろうか? でも直接触れるにはかなり勇気がいるよな、これ。
「返してもらうよ」
 ボクが躊躇っていると、後からやって来たしずバアが無造作に手を伸ばし、一期の頭から入れ歯を取ってそのまま口にはめこんだ。
「洗わないの?」
 ボクが驚いてしずバアを見ると、彼女は口では何も答えず、ただニンマリ笑う。
 ……洗わなくても全然オッケーみたいだ。
「おお、お前はさっきの卑怯者ではないか」
「何?」
 マサルが未だ座ったままの一期に声をかけ、両者は睨み合った。
 背の高い一期は座ったままでも、立っているマサルと視線の高さは殆ど変わらない。
「お前、ひろしの事が気になるくせに、何故かあそこから逃げ出しただろう」
「マサル?」
 ボクはマサルの言っていることが、いまいち理解できなかった。
 彼は田仲たちのリーダーだ。一期がそこから逃げなければならなかった理由など、どこにも無いように思われたからである。
 あの時は単に、一期は興味が無いからあっさりボクを見捨てたんだと思っていた。違うのかな。
 しずバアが入れ歯の位置の微調整を終えて、マサルの横に並んで彼を見下ろした。
「大方、仲間に変な虚勢でも張ってたんじゃないかい? 青いねえ」
 一期は一瞬しずバアに何か反論しかけたけれど、結局何も言わずに口を閉ざす。
 マサルがコブラの銃口を、一期の額に押し付けて言った。
「見捨てておいて今更コソコソ様子を見にやってくるとは、すっきりしない奴だな。ひろしがあいつらに絡まれたのは、お前の差し金か?」
「……そう思うなら、思っておけばいい」
 ふてくされたようにそう答える彼に気分を害したのか、マサルはエアガンのトリガーを引き絞ろうとした。
 瞬間、これ一発で気絶した田仲の姿が、ボクの脳裏をよぎる。
 あれをこんなに至近距離で喰らったら、いくら一期でもただでは済まない。
「まっ、待って!」
 ボクは慌ててマサルの手を掴み、コブラの銃口を別の方へ向けさせた。
「あれはボクの弱虫のせいなんだ、一期君はそんな事しないよ」
 ボクと一期は、小学六年生くらいまでは本当に仲が良い友達だった。
「おじさんとおばさんの事があって、今はちょっとだけ近寄りがたいだけなんだ。本当はすごくいい奴なんだから」
 幼稚園児に必死にそう頼み込むボクの顔を見て、一期は苦笑する。
「お前って、本当に底抜けのお人よしだよな」
「……そうかな」
「ああ」
「へへ」
 ボクたちはお互いに笑い合って、久しぶりに会話をした。


「中学に入学して気がついたら、こうなってた」
「何それ?」
「さあ」
 首を傾げるボクに、一期は素っ気ない返事を返す。まあこれは彼が元々感情があまり表に出ないタイプだから、いつものことなんだけど。
 確かに両親が離婚して以来、彼は少し荒れていた時期もあった。
 それがちょうど中学入学の時期と重なってしまったから、どうやらそれで学校内での彼のイメージが固定してしまったらしい。
 積極的に誰かと交流を持とうとするタイプでも無いし、結局他に友達も作れなかった……という、蓋を開けてみれば何とも単純で不器用な彼らしい理由でボクたちは長いことギクシャクしていたのだった。
 しずバアが感慨深そうにうなずく。
「成る程ねえ、今の友達まで無くす訳にもいかないしね。この僕が自分の友達ってんじゃあ、お前さん、ハクが付かないもんねえ」
「……う」
 そうか、そもそもボクがこんなだから、何もかもがいけなかったのか……。
 そして今のボクはまさに堕ちるところまで堕ちて、今や幼稚園児に「下僕」呼ばわりされる身である。
 状況としてはまさに最悪だ。
 肩を落とすボクに、マサルが誇らしげに言った。
「そう落ち込むな。これからはオレ様の下僕として、立派に勤め上げれば良いんだから」
 幼児のことだからこの騒動ですっかり頭から抜けているんじゃないかと期待したけれど、現実はそう甘くなかったみたいだ。
「だからそれはさっきも言ったじゃ……」
 そう言いかけた時、ボクたちがいた歩道のすぐ脇に、すごく大きくて高そうな黒塗りの車が停まった。
 勢いよくドアが開けられ、中から降りてきたのは黒いサングラスにスーツ姿の、いかにも怖そうな男の人が二人。
 一瞬誘拐でもされるのかとボクは怖気づいたけど、彼らは真っ直ぐマサルの方にやって来て、彼を抱きしめてこう言った。
「マサル坊ちゃん! 私達が幼稚園にお迎えに行くまではじっとしていて下さいって言ったじゃありませんか!」
「放せ! 何だ、そんな大声出してみっともない」
 少し迷惑顔でマサルはその男の人を叱りつけ、彼の腕の中でジタバタと暴れる。
「いつぞやも勝手に一人でお帰りになって、私達がどれだけ心配したと思っているんですか」
「男にはだな、時にはやらねばならない事があるのだ。それをお前達みたいなのがゾロゾロと引っ付いて来ては、意味が無いではないか!」
「ねえ、『やらねばならないこと』って何だったの?」
 首を傾げるボクに、マサルは眉をしかめながら渋々答える。
「オレ様が不覚をとってしまった場所のすぐ前に犬を飼っている家があっただろう。以前通りがかった時にもオレ様に吠え立てたから、どちらが偉いか見せつけて手なづけようとしたのだ」
「犬?」
 そう言えばあの通りには、でっかい犬を飼っている家があった。通りがかる人みんなにすごい勢いで吠え立てるので、ボクもたまに不意打ちを喰らってすごく驚くことがある。
「まさか、急に吠えられてビックリして、それで側溝に落ちちゃったとか?」
「人生の最期に言いたいことはそれだけか、きさま」
 男の人に抱っこされたまま、マサルは真っ赤なしかめっ面でエアガンの銃口をボクに向けた。
 反対にボクは一瞬で顔を青くさせ、ブンブンと首を横に振る。
 でもそれも、マサルをお迎えに来た謎の男の人たちがマサルを抱えながら立ち上がったことですぐに解消された。
「あ、おい、待て。オレはひろしにこれからの心構えをだな……待てって言ってるだろ、おい!」
 あっという間にマサルは車の中に押し込められて、すぐにその車は発進してしまう。
 走り去って行く車の窓が開いて、そこからマサルが顔を出してボクらを見た。
「仕方ないから、今日はこれくらいにしといてやる! じゃーな、ひろし!」
 その時初めてマサルは子供らしい顔でボクらに笑いかけ、ボクも笑い返した。
 あっという間に車は走り去り、ボクたち三人はそこに立ち尽くす。
「行っちゃったね」
「ああ、そうだな」
「今度会った時には、どちらが上かきっちり勝負を着ける事にするよ。ひゃっひゃっひゃっ」
 ボクと一期の意味有り気な視線を一瞥すると、しずバアは「そろそろ夕食を作る嫁の邪魔をする時間だ」とか言いながら、さっさと帰っていってしまう。
 まあ、取り敢えずこれで、ボクは幼稚園児の下僕にはならずに済みそうでなによりだ。
「さあ、ボクらも帰ろうか」
 精一杯腕を空に向かって引き伸ばすと、ボクは胸いっぱい大きく息を吸い込んで、少し暗くなりかけた東の空を見上げてそう笑った。
 夕日が作り出すボクと一期の影は黒く長く道路に伸びて、僕たちの歩く先へ先へとついて回る。
 そうだな。もうこれからは影に隠れてビクビクなんてしてないで、できるだけ自分を前に出せるように頑張ってみよう。
 さすがに、マサルみたいにはいかないけれど。
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