金木犀
むせかえる金木犀の匂い。
この香りをかぐと、私は思い出さずにはいられない。
一人の少女が空から降った、あの秋の日のことを。
「臭いんだよ、近寄るなブー子」
笑いさざめく放課後の廊下で、あの子は泣きそうな顔をして沢山の手に突き飛ばされていた。
誰もが顔に奇妙な薄ら笑いを浮かべていた。
誰もが自分の罪を罪とも思っていなかった。
自分に嫌な事があったから、彼女たちは暇つぶしにたった一人の生贄をいたぶって遊んでいるのである。
本当にくだらない人間だ。彼女たちも、それを見ていただけで止めようとしなかった全ての存在も。
先生? いつも自分のことしか考えてない卑怯な大人に何ができるというのか。
大人は昔私たちと同じ子供だったくせに、そんなことすっかり忘れて威張ることしか知らない。面倒くさいことは嫌い、関わることは大嫌い。
大人と子供の間には、天辺が見えないほどに高く高くそびえる壁が立ち塞がっているのだ。
ブー子と呼ばれたあの子のカバンがある日消えた。
探してみると焼却炉の前にそれは落ちていて、中身は空っぽ。紙でできたそれらは、もう全部燃やされた後だった。
「もう嫌だ、もう疲れたよ」
私の目の前でブー子は涙をぽろぽろと流す。どうせ泣くなら親や先生の前で泣けばいいのに、自分が苛めに遭っていることは知られたくないのだ。
本当は、助けてもらいたいと思ってるくせに。
「じゃあ、どうする?」
私は彼女の耳元でそっと囁く。
本人の意思が無いと私には何もできないから。何を選び、行うかは全部彼女の意思一つだった。
消え入りそうな声で呟く言葉を拾い上げ、私は頷く。
「……分かった」
ブー子は校舎の屋上から飛び降りた。
下はコンクリートブロックの敷き詰められた歩道。頭から落ちた瞬間に血と脳漿が飛び散って、一瞬のうちに彼女の人生は終わった。
私は彼女の背中を押してあげただけ。奇妙に手足が曲がったブー子の側には、オレンジ色の金木犀の花が散っていた。
「ああ、やっとこの場所から解放される」
鉛のように重かった身体がふわりと軽くなる。
私は秋の空に漂って、ブー子の遺体に群がる人々を見下ろしながらその場を去った。
かつて秋の空から降ったのは私。
飛び降りた下に金木犀の木があったせいで、最期に私は甘く強い香りを身体いっぱいに受け止めた。
悲しい、悔しい、寂しい。
強過ぎる想いが邪魔をして、私は未だにこうして漂っている。
そして金木犀の香りをかぐと、心がその場所に縛り付けられてしまうのだ。
「でも身代わりをそこに置けば、また囚われるまで私は束の間の自由を得ることができる」
金木犀の香りをかぐと思い出す。
むせかえる様な甘い香りの中、動かなくなった私の最期の姿を。
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モクジ
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