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● 美少女戦隊マシュマロン  ●

プロローグ

 某大手スーパーチェーン店の出入り口、ではなく壁横の薄暗い側道にて。
 一人のおじさんが鼻歌を口ずさみながら壁に向かって立っていた。目の前の細い側溝めがけて、じょばじょばと激しい水音が狭い空間に響き渡っている。
 店内に入ればちゃんとトイレがあるのに、どうしてわざわざここでするのか。同じ男の僕にも皆目検討はつかない。
 はっきり言ってあまり見たくないんだけど、ってか本気で見たくないんだけど、おじさんが放出した液体はスーパーの壁や近くに置かれている段ボール箱へ思いっきり跳ね返っていた。うう、これ以上見てたら吐く。
 移動しようと立ち上がった僕は背中を柔らかい壁にぶつけて動きを止めた。背後から両肩を抑えられて、完全に動きを封じられてしまう。
「ちょ、何するんだよ。僕がここにいる必要はないだろ」
「まあーまあー」
 押さえた声で文句を言うと、とても同じ八歳とは思えない巨体の女子、小雪がにっこりと笑った。脂肪がたっぷり巻きついたぷよぷよの手は予想以上に力持ちで、男子なのにあっさり力負けしている自分が不甲斐ない。いや、僕は頭脳派なんだ、気にしたら負けなんだ。
 そんなやりとりをしている横で、連続して激しいシャッター音とフラッシュの光が瞬く。僕達――僕とその他三名は側道の入り口前に積んであった荷物の影に隠れていたんだけど、さすがにおじさんが気づいてこっちを振り返った。あっ、まだ出てるのにそんなことしたらズボンに(自粛)
「何だお前達!」
 いっぺんに顔を真っ赤にしたおじさんは大声で怒鳴ったけど、びくついたのは僕だけだ。一眼レフとかいう望遠鏡が引っ付いてるデジカメを構えていた僕の幼馴染は、メモリカードを引き抜いてもう一人の友達に手渡しながら笑った。大きな目が収納された丸い顔が笑うと、顎が二重になる……ってこないだ指摘したら殴られたんだけど。
「おじさんこそ何してるのさ。そこはトイレじゃないよ、酔っ払ってんの?」
「苺、苺、やめとけって」
「うるさいな、これからが大事なところなんだから竹斗は黙ってなよ」
 僕が引っ張った服の裾を苺はうるさそうに引っ張り返す。ってか、そう言うくらいなら僕を巻き込むなと言いたい。大体どうして僕はここにいるんだ、もう塾に行かなきゃいけない時間だっていうのに。
「何だあ小僧ども、痛い目に遭わされたいのか?」
「さっきの場面はしっかり撮っておいたから、あとでポスターにしてそこに貼っておくよ。学校の先生も後片付けはちゃんとしなさいってそりゃーうるさくってさ。やり逃げはよくないと思うよ、おじさん」
「てめえ、なんてとこ撮ってやがる」
 ああ、ばか。余計怒らせるからこっちに来るじゃないか。おじさんは目を血走らせて歩み寄り、苺のカメラを奪い取ろうとした。でも丸っこい割に運動神経抜群の苺はひらりとそれをかわす。
「無駄だよ、もうデータは家のパソコンに送ったもん。ねえ、瑠璃」
 さっきメモリーカードを受け取った瑠璃は、携帯電話とそれに繋げたソケットを掲げて見せた。肩すれすれできっちり揃えられた髪におっとりした動作。細いタイプじゃなくて、ほっぺがぷくぷくの日本人形ってあるけど、まさにそんな感じの瑠璃は微笑む。
 そう、ここにいる女子三人はみんな肥満体なのだ。背の高さも含め分かりやすく大きさで言うと、大=小雪、中=瑠璃、小=苺の順でデブ……ぐほぅぁっ。
 いきなり苺から肘打ちを食らって思考が断絶し、体がくの字になった。なぜだ、声に出していないのに何で分かるんだ。お前はエスパーか!
「あらあら、大丈夫ですか竹斗君。あ、おそまつなデータをわたくしのパソコンに入れるのはためらわれましたので、竹斗君の方へ送っておきましたわ」
「あー、そまつね。確かに」
「そまつーそまつー」
「どうして僕んちなんだよ。大体うちのパソコンは父さんのなんだから変なもの送るな!」
「誰が変でそまつだぁぁぁぁっ!」
 最後のおじさんの声がなければうっかりこの状況を失念するところだった。いくら弱みを握っているとはいえ、小学三年生と大人じゃ無理がある。早く逃げないと。
 焦る僕とは裏腹に、苺がおじさんの股を指差して大声を張り上げた。
「それだよ。いい加減にしまえば?」
「なにぃぃっ」
 おじさんが動きを止めて下を見た瞬間「違う」と言いたそうに眉を歪める。でもその時には女子三人が側の空き箱の山を崩し、思いっきり投げつけていた。恐ろしいほどのチームワーク。どうして事前相談もしてないのに以心伝心なんだ、こういうことだけ。
 三人の動きにつられるように僕もその場から走り出し、急いで自転車に飛び乗った。全速全開、立ち漕ぎでフルスロットル。体力の限界までとにかく漕ぎまくるのだ。
 一度だけ振り返った駐車場では、ズボンの裾に染みをつくったおじさんが雄叫びを上げていた。買い物をしにきたおばさん達にじろじろ見られているのに気づいて、もう一度股を確認していたのが印象的だった。

 ◇◆◇


 それは本当に単なるとばっちりだった。身体測定の診断結果が今日渡されたのも、その内容がどうだったかも、全く僕が責任を負うべきところは一ミクロンほどもない。
 給食後の昼放課がいつもより静かだったのは、幼馴染の苺が保健室へ呼び出しを受けていたからだった。いつも一緒につるんでいる瑠璃も小雪もいないからそれはもう平和だ。
 ドッヂボールをしようと男友達から誘われいそいそ出て行こうとすると、いきなり背中に重みを感じて僕は唸る。
「竹斗ー、聞いてよー」
「やめろ、僕はこれからドッヂボールに……」
 いきなり背中に飛び乗った苺は僕と身長は同じでも明らかに肉付きがいい。子泣きじじいみたいにどんどん重くなってきて、あっという間に床へはいつくばった。
 助けを求めてドッヂ仲間を見上げれば、いかにも気の毒そうな顔で親指を立て、颯爽と去っていくじゃないか。み、見捨てられた……。
 僕の幼馴染は密かに「大福の悪魔」と呼ばれている。苺大福でもいい。「悪魔」が付いているのは、ちょっとバカなくせにやたら気が強くて実行力があるせいで周囲に迷惑をかけるのが日常茶飯事だからだ。大手製薬会社の社長令嬢というと、始めはみんな驚くのが常だ。
 僕だって、父さんが苺んちの会社で研究員なんかしてなければ無関係でいられたはずなんだ。三歳の時に社内行事で偶然知り合ったのが運の尽きだった、ように思う。
 同い年で同じ学校、同じクラス。社長さんも僕のことは知ってるから、そして自分の娘がどれだけアレかを分かっているので必然的にお目付け役が僕に回ってきた。
 父さんからも「首がかかってるんだ」と涙目で懇願されてしまっては、いくらうざかろうとほったらかしにもできない。自分がもっと世の中の見えない馬鹿な子供でいればよかった……と本気で思う。
「圧死させるつもりか」
 のしかかる肉塊を斜めにずり落とし、そこから必死に這い出た。振り向いてみればいつもの厄介三人衆が揃っている。しかしいつもより覇気がないような?
「何だよ話って」
「さっき保健室に呼び出されてさ」
 苺の言葉に瑠璃と小雪がうんうんと一緒に頷いている。三人揃って保健室に呼び出しを受けていたということだろう。
「あたし達、このままじゃ将来大変なことになっちゃうみたいなんだ」
「まあそうだろうな」
 色々な意味で、と僕は深々と頷く。
「ええと何だっけ、少林寺メタボン症候群ってやつになりそうなんだって」
「どんな武術だよ。それとも新種の怪獣か?」
 僕の突っ込みに瑠璃が修正を入れる。
「小児メタボリック症候群ですわ」
「小児メタボ! ウエストが八十センチ以上ってあれか、あ、小学生は七十五センチだっけ」
 まずはウエストサイズで引っかかり、そこから血液検査と血圧などの項目で二つ以上当てはまった児童を小児メタボリック症候群と診断するらしい。
「いやに詳しいんだな」
「こないだニュースで特集やってたから」
 僕の返答に苺は大きな目をまん丸にした。
「竹斗ってニュースなんて見るの?」
「さすが、うちの小学校一の秀才ですわね。塾では中学校の勉強を習っていらっしゃるのでしょう?」
「いや、それほどでも」
「何言ってるのさ瑠璃。ニュースばっかり観てる小学生なんていけ好かないだけじゃん」
「アニメしかしか観ない苺に文句を言われる筋合いはない」
「小雪太りすぎかなあー、ちょっとぽちゃっとしてるくらいが可愛いよってパパも言ってくれるのに」
 甘ったれた喋り方をする小雪が身長も横幅もクラスで一番でかかった。「小雪」じゃなくて「雪だるま」って呼ばれてるのを知らないのだろうか。
「小児メタボか、まあそれも仕方ないんじゃないの。学校にお菓子を持ってきちゃいけないって決まりがあるのに、お前らいつも何か食べてるし」
 言ってる側から、小雪が鞄から取り出したマシュマロを三人でもしゃもしゃ食べている。
 呼び出されてメタボ宣告された自覚はあるのだろうか。
「それでさ、ダイエットしなさいって言われたんだけど、どうせならみんなで楽しくやりたいじゃん?」
「マシュマロの粉を口にいっぱい付けて言われても説得力ないんだけど」
「世のため人のためになることでしたら、なお素敵ですわね」
 どこから取り出したのか瑠璃は扇子をぱっと開いて優雅に扇ぎだす。詳しくは知らないけど、お母さんが有名な日本舞踊の家元だとかいうのを聞いたことがある。一応三人の中では勉強もできるし常識がある方だろう。
 そして小雪は大手菓子メーカーの社長令嬢だ。三人揃ってろくなことをしないが、結局親の威光で色々うやむやにされているんじゃないかと僕は勘繰っている。
「世のため人のため、ねえ。正義の味方みたいな?」
 何を馬鹿なことを言って、と苺の言葉を遮ろうとした時には、三人の目がいかにも怪しく光っていた。
 一瞬悪寒が駆け抜ける。すごく嫌な予感がした。
 不幸なことに僕はこういう場面に何度か出くわしていて、そのたびにこいつらはろくでもないことばかり言い出すんだ。
 これ以上関わり合いにならないでおこうとじりじり下がり始めた時、大福の悪魔の手が伸びて僕の服を掴む。そして僕の運命は、決まった。


「――ってか、これのどこが正義の味方だ!」
 足が重い。息が切れて喉の奥が変なふうに痛い。上り坂でもすいすい前を行く三台の自転車に僕は必死に訴えかける。
 一番先頭を行く苺がちらりと振り返って楽しそうに言った。
「迷惑なおっさん撃退したじゃん。マシュマロンの第一任務はとりあえず成功だよね」
 迷惑なおっさん――スーパーマーケットの外で迷惑行為をしていたあのおじさんは、幸いにもしつこく僕らを追いかけては来なかった。で、「マシュマロン」というのがこの馬鹿げたヒーローごっこのチーム名らしい。昨日話していた時、マシュマロを食べていたからだろう。正式名称は「美少女戦隊マシュマロン」……だ。
 いらないだろ、いらないだろ僕はっ。
「美少女戦隊」なら女だけでやれよ!
 どうしていつもいつもいつも僕をくだらないことに巻き込むんだこいつらは。
 それにしても僕は息も絶え絶えになって自転車を漕いでいるのに、どうしてあいつらは涼しそうな顔で先を行くのか。僕も特に運動が得意というわけではないが、あの三人はメタボなのに――といぶかしんだ時、三人が乗っているのは見慣れた自転車の形とはどこか違うことに気づいた。フレームに何か余分なものが付いている。
「って、電動自転車かよ! ダイエットなら自力で漕げ、ずるをするなーっ」
「パンピーが何か言ってるぞ」
「そんなことを言っては駄目ですわ苺ちゃん。せめて『下々の方』ですわ」
「フォローになってない、丁寧に言ってるだけでむしろ酷くなってるだろ」
「小雪疲れたー」
 ちくしょう金持ちめ。サラリーマン家庭を舐めるんじゃないぞ。大体僕は身体測定で痩せ気味評価だったんだから、こんな脂肪の塊どもと一緒に行動すること自体が間違ってるんだ。うん、そうだ。
 最後尾なのをいいことにそのまま横道に逸れてフェードアウトしようとしたら、後ろから追い付いてきてぴたりと横に付けるマウンテンバイクがいた。
 ダーク・グレーのスーツにサングラス、ぴかぴかの革靴にオールバックの黒髪。
「田辺さん」
 立派なマウンテンバイクに全く似つかわしくない格好をしたおじさんは、苺の専属ボディーガードの田辺さんだった。
 腐っても大会社の令嬢な苺は、三年前に誘拐されたことがある。それ以来、苺が行くところはどこでも田辺さんが一緒なのだ。
「大丈夫ですか竹斗君」
「今までどこにいたんです、あいつらの暴挙を止めて欲しかったのに」
「不甲斐ない大人で申し訳ない。お嬢様の傍若無人な……いや、傲岸不遜な行い……いやいや、とにかくあれを止めるのは不可能だからね。ですが君達に何かあった時にはちゃんと援護できるように見守っていましたから」
「え、さっきもいたの?」
 田辺さんはこっくりと頷きながら肩に下げていた棒――じゃないな、よく見たらライフルですかこれ。え?
「ゴム弾です、ご安心を。それからさっきの御仁には、今後余計な因縁をつけないと快く了承してもらえましたから平気ですよ」
 あのおじさんが快く? 本当に?
 でも田辺さんの背中のライフルが鈍く光ったような気がして、思わず言葉を飲み込んだ。
 大きくてマッチョな田辺さんは喋りも丁寧でいい人だと思うんだけど、よく考えてみたら知らないうちに色々問題を片付けていることが多い。陰の仕事人として一体何をどう処理しているんだろう。世の中には知らない方が幸せなこともあるってテレビで言ってたけど、実際どうなんだ。
 それから幾らも走らないうちに、僕らは自転車を降りて地下鉄の入り口へ向かうことになった。さっき小雪が疲れたって叫んでいたが、実を言えば他二名も同じだったらしい。電動アシストがあるのに贅沢な奴らだ。
「――ああ、○○駅の側にある駐輪場だ。早目に頼む」
 見上げたら、短いやり取りですぐ携帯電話を切った田辺さんと目が合った、ような気がした。サングラスかけてるからよく分からないけど。
「自転車はご自宅の方へ運ばせておきます」
 仕事が早い。何だかもうボディーガードっていうより秘書か付き人って感じだね。
 大体自転車でパトロールすればいいダイエットになるって苺達が言い出したくせに、疲れたから電車内パトロールに切り替えるってどういうことだよ。
 しかも地下道の階段じゃなく、エレベーターに真っ直ぐ向かってボタンを押してる。全く歩く気はないらしい。既に本来の目的はどこかへ消え去ってしまったかのようだ。
「早く竹斗。こっちだって」
 一人階段で降りて、あわよくばそのまま帰ろうと思っていたのがばれたのだろうか。結局苺に手招きされるまま、僕はエレベーターに乗り込んだ。という時に、後から飛び込んできた人がいきなりぶつかってきて、奥の壁へ強引に押しやられる。
「ぐえ」
「大丈夫ですか竹斗君」
 大丈夫じゃないけどありがとうございます。僕を気遣ってくれるのは田辺さん、あなただけです。
 エレベーターに乗り込んだのは僕達五人と、僕に体当たりをしても謝罪もない派手な服を着たお姉さんが一人。目の周りが黒く塗りつぶされてて、茶色の髪はブロッコリーよりすごい盛り上がりだ。モンスターの親戚か。
 それにしてもすごい香水のにおい……くさ。いるんだよね、周りの迷惑を考えないすごいにおいの人。
 そして音もなくエレベーターのドアが閉まった時、突然苺が叫んだ。
「くさいっ、毒ガスだ!」
 は?
「大変ですわ苺ちゃん、すぐに中和剤を散布しませんと」
 と背中のリュックから瑠璃が取り出したスプレー缶を受け取るやいなや、苺はけばいお姉さんに向かって「消臭」と言いながら中身をぶっかけた。見えた缶のラベル文字はまさに「消臭スプレー」……。
「きゃあああ、何すんのよこのくそチビ!」
 ポーン、地下三階です。というアナウンスと同時にエレベーターが開く。女子三人は自転車の疲労なんて全く感じさせない速さで逃げ出した。おい、僕は置き去りか。
 たった数十秒の間に起こった事件についていけない。身体が、いやむしろ心が。お姉さんがすごい形相で僕を睨みつけたけど、知らない振りをするしかなかった。僕も被害者なんです、だから見逃して下さい。
 遅れて後を追いかけた僕と田辺さんは、前方に苺が一人で立っているのを発見した。
 苺はすれ違った知らないおじさんを振り返り、睨みつける。あれ、駅構内ってタバコ吸ってもいいんだっけ? そのおじさんは火の付いたタバコを指に挟んで人ごみの中を歩く。親子連れとすれ違う時に、子供と手を繋いでいるお母さんが慌てて引っ張っていた。
「あ、そうか」
 僕も怖い思いをしたことがある。ああいいうタバコの先がすれ違いざま顔にぶつかりそうになったり、服に当たりそうになったことがあったからだ。
 苺は背中のリュックから何かを取り出しておじさんを追いかける。うわ、まずい。絶対何かやるつもりだ。
 でも僕らが止める前に苺はそれを構え、撃った。田辺さんと同じゴム弾かと思いきや、見た目はエアガンらしき銃口から飛び出したのは水の放物線。見事におじさんが持つタバコに命中する。
「つめてっ、何だデブ、何しやがる」
 それは禁句である。事実であるからこそ言ってはならないことがこの世の中にはあるのだ。折角水をかけられる程度で済んだというのに、何てことを言うんだおじさん。
 苺の顔を覗き込めば笑っていた。違う、目だけが笑ってない。ひいい。
 苺は水鉄砲の装置を一部ジャキコンと動かし、僕が止める間もなくもう一度撃った。水はおじさんの股間に命中し、飛び散ったしぶきが上の白いシャツにも付いて黄色い染みを作る。
「え、黄色?」
 さっきは普通の水に見えたけど、違ったのかな。
 顔を真っ赤にして怒るおじさんよりも、苺が叫ぶのが早かった。
「おじさんおしっこ漏らしたの?」
「んなわけねーだろ!」
「ふうん? でも何か臭くない?」
 言われてみれば確かにそれっぽい臭いが……と僕が思うのと、周りの人が気づくのは同時だったらしい。さっきまで多くの人で混雑していた場所が、おじさんを中心にさーっとドーナツ状に空間ができていく。
 あからさまに顔を背けて通り過ぎる人。でも気になるのか、何度か振り返ってちらちら見てる。遠巻きに眺めて、口元を押さえながら隣の人と内緒話をしてる人もいる。やっぱりみんな視線は空間の中心にいるおじさんに向けられていた。まさにオンステージだ。
「お、おおお俺は違うぞ。違うったら!」
「くさくさくっさー」
 大福の悪魔が率先して声を発すれば、周囲の通りすがりからも徐々に「やだ、本当?」とか「うわ、本当に臭う」という声が上がる。両手で濡れた股間を隠してうろたえるおじさんの声が震えて、しまいには泣きそうになっていた。
 結局苺に報復を加えることよりも、この場を逃げ出す方を優先したみたいだ。公衆トイレの方へ走っていく背中を見送っていると、苺が呆れたように言う。
「何だあ、もしかして本当にトイレ我慢してたのかな」
「いや、普通に考えればズボンを洗いに行ったんだろ」
「あ、そっか」
 それにしてもあの水鉄砲には何が仕込まれてるんだ?
 僕は水鉄砲の構造をよく見ようと、肉付きのいい苺の手ごと掴んで目の前に掲げる。するとすごい勢いで目の前の手が引っ込んだ。
「な、何」
「何って、その水鉄砲どうなってるのかなって」
「水で…………ああ、水鉄砲、うん、あはは」
 よく分からないけど苺は顔を真っ赤にして手をぶんぶん振る。田辺さんが遠くを眺めながら「青春ですなお嬢様」って呟いてたけど、それがこの暴挙のことを言っているなら大問題だと思った。
 見せてもらった水鉄砲は、どうやら二種類の水を切り替えて発射できる仕組みになっているようだ。じゃあやっぱり始めのは普通の水だったんだな。
「黄色いのは本物じゃないよな?」
 希望を込めてそう尋ねてみる。すると苺は小さな丘みたいに膨らんだお腹を更に反りくり返しながら自慢した。
「昨日急いで作ってもらったんだ。臭いも色も限りなく本物に近づけた最高傑作。空気に触れると化合成を起こしてああいう臭いになるんだって」
 何だよ化合成って。ちょっと難しい言葉を使おうとすると、無理して変な言葉を作り上げるから苺はおバカに見られるんだ。普通に化学反応って言えばいいのに。
 親のコネを使い、「他人の」労力を惜しまずつぎ込んで世の中にとって無駄なものを作らせるのは苺の趣味である。付き合わされた人も気の毒に。
「竹斗パパはやっぱ最高だよ。たった一晩で完成させちゃうんだもん」
「僕の父さんにやらせたのかよ。朝帰りの理由はお前か!」
「いやん、朝帰りだなんて」
 徹夜明けでぼろぼろになって帰ってきたけどね。登校する僕とすれ違いに。
 どっと疲れたところでふと思い出す。そういえば他の二人はどうした。
「あちらに」
 きょろきょろしていると田辺さんがある方向を指さす。そこでは瑠璃と小雪が、通り過ぎるお兄さんが投げ捨てた紙くずを拾い上げ、顔を見合わせているところだった。
 ごみを拾うだなんてあいつらにしては珍しく良いことをする。ゴミ箱があっちにあったことを教えようと思い近づいていくと、その間に小雪がのっそりとした動きでリュックから何かを取り出す。紙くずを持っていた瑠璃は手早く折りたたみ、それを小雪に手渡した。
 ゴミを挟んでゴムをぎゅいーんと引っ張る。小雪の手に握られていたのはいわゆるパチンコ。またしても呆気にとられているうちに、次なる暴挙は発動してしまった。
 パチンコから発射されたゴミ玉は、正確に捨て主の後頭部にヒットした。お兄さんの頭は激しく前のめりになり、余程衝撃が強かったのかうずくまって痛みをこらえているようだ。
「紙、だよな……」
「中に『ゴミのポイ捨て反対』というプレートを挟みましたの」
 と瑠璃が見せてくれたのは薄い鉛の板だった。確かにメッセージは書いてある。で、これを紙に挟んで折りたたみ、ぶつけたと。お兄さんがうずくまるはずだった。
「でもやばいんじゃ。ねえ、田辺さん」
 幾らゴミのポイ捨てが悪いと言っても、こっちがやっていることは三倍返しだ。いつも都合よく向こうが戦意喪失して退散してくれるとは限らないじゃないか。ほら、お兄さんが立ち上がろうとしてるよ。うわー、うわー。
「って、何してるの田辺さん」
 後ろに立っていたはずの田辺さんは片膝をつき、肩に担いでいたエアガンを構えていた。
 そして撃った。立ち上がろうとしていたお兄さんの後頭部に、鉛入りの紙玉に次ぐ第二撃を寸分違わず同じ場所へ。
 運の悪いお兄さんは結局立ち上がれず、今度は倒れた。――死んでないよね。
 田辺さんは立ち上がると爽やかに笑う。
「ふう、危ないところでした」
「ええええ!」
「さ、今のうちに行きましょう」
 素直に頷く女子三人組み。田辺さんに促され歩き出しながらも、僕の衝撃は大きかった。

 田辺さん、あんたもそっち側の人間だったのか!

 同志だと思っていたのに。酷い、酷いよ田辺さん。
 それともこの状況をおかしいと思う僕が変なのか。世の中の常識は僕が知らない間に激変してしまったとでもいうのか。
「何でだーっ」
「早くしなって竹斗、置いてくよ」
 田辺さんから切符を受け取って早々に改札を抜けた苺が、何の悩みも無さそうな顔で僕を見ていた。僕自身は何もしていないというのに、あいつらがしでかすこと全てが僕の心労に変換されているような気がした。


 電車の中はすぐに空席が見つけられない程度には混雑していて、先頭車両から乗り込んだ僕らは一列になって後方へ向かい歩いている。
「大丈夫かな田辺さん」
 人数は五人から四人に減っていた。
「『私に構わず行ってください』と、元気に言ってましたわね」
「元気というか、暴れてたというか……」
「大丈夫だよ、だって田辺だもん」
 根拠なき苺の言葉が僕の不安を解消するはずもない。
 電車に乗り込む直前になって、田辺さんは突然、鉄道警察に取り囲まれたのだ。「ライフルを持った不審人物発見」とか言ってたので、原因はどこにあるのか聞かなくても分かるけど。
 とりあえず複数人に取り押さえられた田辺さんは、必死に抵抗しながら僕達に先に行けと言い残したのだった。それはもう、テレビや漫画でありそうな生き別れシーンみたいな勢いで。
 そんな田辺さんに比べ、この三人の温度差って……思わず心の中で合掌してしまう。
「って、何してるんだよ苺!」
 ほんの一瞬目を離した隙。苺が座席にいる小さな男の子のズボンを、勢いよくずり下げたのだ。
 一緒にパンツまで脱げてしまいお尻がぷりんと丸出しになったその子は、驚きで目を丸くして声もない。代わりに隣に座っていた母親らしきおばさんがこっちを睨んだ。
「きゃあっ、ゆうくん。ちょっとあんた、何すんのよ!」
「靴を履いたまま座席に上っちゃいけないんだよ。おばさんの顔が怖くて誰も言えないみたいだから、代わりにあたしたちマシュマロンが教えてあげたの」
 本当に「マシュマロン」って名乗ってるし。しかもさり気なく全体責任に摩り替えてるよ。本当に参る。
 でも男の子の隣に座ってるスーツ姿のお姉さんも、向かい側に座ってるサラリーマンのおじさんも声には出さないものの納得したように小さく頷いている。え、賛成なの? 賛成なんですか。
 確かにその男の子――三歳くらいか? は土足のまま座席に上がり、しかも窓の向こうを覗き込みながらぴょんぴょんと跳ねていた。そこを一気にずりっとお尻丸出しの刑にされたわけなんだけど。
 苺の指摘は間違ってない。間違ってはいないけど……全てを容認してしまうのは駄目な気がするんだ。だっていきなりズボン下ろすより先に、一言注意すれば済んだかもしれない。まあ横に座ってて子供の無法を放置してるような親なんだけどさ。
 怒れるおばさんが腰を浮かしかけた時、周囲の大人が揃ってじろじろともの言いたげに視線を向けた。それは案外効果があったようでおばさんの動きが一瞬止まる。今だ。
「すみませんでした」
 おばさんも、もちろん苺にも口を挟む余裕を与えない速さで僕は幼馴染の背中を押してその場を離脱する。前進、とにかく前進するのみ。
「まあ、何やら随分と安っぽい臭いがしますわ」
 と前方に意識を向けていたら、今度は後ろから不穏な発言が聞こえてくる。何だ、今度は一体何をやらかすつもりだ。
 振り向いた先には、立ち止まった瑠璃が半開きにした扇子で口元を隠し眉根を寄せていた。視線の先にいるのはハンバーガーを食べているお兄さんだ。
「狭いとこで食べるとにおいがこもるんだよなあ」
 前を歩いていたはずの苺がいつの間にか戻ってきて参戦する。なんて余計なことを。
「下賎の食べ物ですわね」
「でも小雪はちょっと興味あるかもー」
「あんたはいいの」
 と身を乗り出す苺に、またしても瑠璃がリュックから出したものを手渡そうとする。あ、あれは。
「させるかぁぁぁぁっ」
 すかさず割って入り、僕はスプレー缶を取り上げた。さっきエレベーターの中で使った消臭スプレーだ。は、初めて阻止に成功した。
 確かに電車の中でにおいの強いものを食べられるとこもって気持ち悪くなるけどさ、食べてる人にこんなものかけたら駄目だろ。
 するとハンバーガーを食べてるお兄さんが睨みつける視線をちくちくと肌で感じ、ちょうど電車が停まったのをいいことに三人を押し出すようにして電車から慌てて降りた。
「何で降りるのさ竹斗」
「誰のせいだよ」
「マナー違反をする方々のせいですわね」
「マシュマロンは正義の味方だもんねえー」
 また勝手なことを。
 もう嫌だ。あんなでも田辺さんがいてくれればフォローしてくれたけど、僕一人でこいつらの面倒なんて見きれない。次から次へと問題ばっかり起こしやがって。
 その正義の行動とやらだって、はたから見れば電車内で騒いでる迷惑な小学生なんだよ。どうしてそれが分からないんだ。
「いい加減にしろ!」
 今まで我慢してきたことがぐるぐる頭とお腹の中で暴れまわって、気がついたら怒鳴っていた。そしたらもう口が止まらない。
「簡単に暴言を吐くな。暴力を振るうな。大体お前ら何様だ? 好き勝手にやりたきゃ自分達だけでやれよ、僕を巻き込むな! もう知らないからな、帰る!」
「た、竹斗」
 珍しく苺が泣きそうな顔でこっちを見ていたけど知るもんか。僕だって怒る時は怒るんだ。
「待ってください竹斗君」
「帰るなら一緒に帰ろうよー」
 改札を出て階段を上る途中にちらりと振り向けば、俯いた苺を真ん中に手を繋いだ三人がそろそろとついてくるのが見えた。でも僕と同じ階段じゃなく、横に設置されたエスカレーターをちゃっかり使ってるけどね。
 反省が足りん。
 無視して階段を上りきり、ここからどうやって帰ろうか考えていた時だった。後ろの方から悲鳴が聞こえて振り返る。
「いやぁっ、苺ちゃん!」
「待ちなさいよー!」
 騒ぐ瑠璃と小雪。そこから少し離れた場所で走り去ろうとしている自転車と、運転手の男に抱えられた――苺が見えた。
「え、え?」
「何してますの竹斗君、誘拐ですわ誘拐!」
 誘拐? こんな真昼間に?
 慌てて自転車の後を追いかける。地下鉄の出入り口が近くにあっても、大きな駅じゃないから運の悪いことに助けてくれそうな通行人は殆どいなかった。
「こんな時に限って田辺さんがいないなんて」
 必死に走りながらふと頭の隅をよぎったこと。
 こんな状況でも、僕はエアガンをぶっ放す田辺さんを否定できるだろうか。だって今、あの犯人の頭を撃ってくれたらって僕は思っている。
 ああ苦しい。思ったより自転車は速度が上がらずよたよたと走っていたから何とか見失わずについていけたけど、何度も言うように僕は頭脳派であって特別運動ができるというわけではないのだ。
 自転車が細い路地の方へ入ろうとしていた。まずい。
 どすどす身体を揺らして何とかついてくる瑠璃と小雪に声をかける。
「何か投げるもの」
「え、何ですの?」
「投げるもの!」
 大きな声で僕が繰り返すと、瑠璃がいつもの扇子を取り出して振りかぶった。
 そんな小さなもの投げつけても仕方ないだろと思ったけれど、扇子は予想外にびゅんと風を切り、自転車の車輪めがけ吹っ飛んだ。犯人と苺の悲鳴、自転車が派手に倒れる音が響く。
 しかし犯人はすぐに立ち上がり、またしても苺を小脇に抱えて走り出した。自転車を捨てたのは車輪の金部分がひしゃげて使い物にならなくなったからだ。え、何でこんなふうになってるの?
「日々の鍛錬には鉄扇が一番ですのよ」
 さすが伝統芸能、瑠璃はただの肥満児ではなかった。
 前方をよろよろ走る犯人は、多分僕の父さんと同じ年代だろう。すごく細い人で男の割に非力なのか、丸々とした苺を抱えた方へ身体が傾き、危なっかしい足取りで走っている。というか、走れてない。早歩きくらいの速度だ。
「体重が多いのもたまには役に立つんだな」
 実は苺が机の中に隠した身体測定の結果票がちらりと見えてしまったのだが、身長は僕と同じ百三十センチなのに体重は十三キロも重かった。まさか苺のやつ、誘拐防止に太ったわけじゃないよな……昔はもっと細かったのに、気がついたらもうあんな感じになってた。目も大きいし、お人形さんみたいって言われてたのを知っている。今は大福の悪魔に成り下がっているわけだけど。
 そうだよ苺。悪魔の異名を持つくらい普段は素行が悪いのに、どうしてこんな時に限って大人しく運ばれてるんだ。他にも魔のアイテムがリュックに入ってるだろうし、ガリガリのおじさんくらい蹴って返り討ちにしても不思議じゃないのに。
「苺、ちょっとくらい抵抗しろってば!」
 苦しい息の中必死に叫んでみる。でも一瞬振り返ったあいつの顔はびっくりするほど情けない顔で。その時初めて、僕の幼馴染も普通の女の子なんだと思ったんだ。
 三年前に誘拐された時は幸いすぐに発見されて怪我もなかったけど、苺はその後一週間も学校を休んだ。でもひと月もしたらすぐ元通りになって、ボディーガードの田辺さんを引き連れてやりたい放題の日々。――あれ、でも始めからこんなに酷かったっけ?
 気が強いのは確かに元からだけど、よく考えたらここまで色々問題を起こすようになったのはあの事件後からだったと気づく。
 それがどう両者に関係性があるのかは分からない。分からないけど、僕は幼馴染の何かを見逃していたんじゃないかという気にさせられた。
 ちょっとだけ、さっき怒鳴りつけたことを後悔した。
 犯人も走るのは遅いけど、体力のない僕達の方も遅かった。つまり全然距離が縮まらない。
「瑠璃、さっき返したスプレー缶あるだろ」
「あ、ありますわよ」
 丸い顔のほっぺを真っ赤にして息を荒げて瑠璃が答える。既に小雪は脱落寸前で喋る余裕もないようだった。
「それ投げて」
「えっ」
 さっき鉄扇をためらいなく投げたのは的が自転車だったからだ。僕が指差したのは犯人そのもの。下手したら苺に当たってしまう可能性は高い。
 でも僕が投げるより、普段から鉄扇を普通の扇子みたいに扱ってた瑠璃の方が断然いいに決まっている。
「大丈夫だよ、さっきだって車輪を狙ったんだろ?」
 仮に手元が狂っても苺はお腹の辺りを抱えられて頭が前を向いているから、肉厚のお尻に当たるくらいだ、大丈夫。でもこれは黙っておいた。
「早く!」
「は、はい」
 瑠璃のコントロールは見込みどおり確かで。ちょっと前まで僕を悩ませるアイテムでしかなかったスプレー缶は、見事に犯人の背中にめり込んだ。
 苺を抱えたまま犯人が転ぶ。そこに駆け込みながら、僕は小雪のでっかい背中を押した。
「小雪、ジャンプ!」
「え、えええっ、ジャーンプ!」
 よく分かってない様子のまま小雪の巨体が宙を舞う。いや、それほど浮かなかったけど、地面を蹴って飛んだのは確かだ。
 小雪が犯人の上にのしかかり、ぐえと潰されたカエルみたいな声がした。
 苺は転んだ時に犯人の腕が緩んだようで、すぐ横に吹っ飛び転がっていた。呆然としているのを引っ張り上げようと手を掴んだけど、僕の力ではびくともしない。
「お、おもっ」
「重くないもん!」
 うお、何かいきなり覚醒したぞ。
 いっぺんに正気を取り戻した苺は僕の手を振り払い、のそのそと自分で立ち上がった。
 地べたに這いつくばる犯人を覗き込めば、どこかで見覚えがある顔。
「あれ、駅でおしっこかけられた人だ」
 正確には「色と臭いを近づけた液体」を苺に引っ掛けられたおじさん。歩きタバコをしていた人だった。もしかして報復のために追いかけてきたの?
「くそ、お前ら親子、絶対許さねえからな」
 首だけ捻っておじさんが苺を睨みつける。さすがにまだショックが残ってるようで、ちょっと顔をしかめた苺は一歩後ろへ退いた。
 小雪が肥満児といっても所詮は痩せた大人よりは体重が少ない。じりじりと起き上がろうとしているのを見て、僕は正直心臓が止まりそうになった。
 でもすかさず瑠璃が犯人の上にダイブし、恨み節は途中で切れる。瑠璃が苺に手招きし、始めは迷った顔をしていた苺も続いて犯人の上に乗った。合わせれば軽く百キロを越す重りがここに完成したわけだ。さすがにもう起き上がることはできないみたい。
「それにしても、親子で許さないってどういうこと?」
「その質問には私が答えましょう竹斗君」
 突然声がして振り向くと、すぐ横に田辺さんが立っていた。い、いつの間に。
「警察に捕まったんじゃ」
「あれくらい撒けなくてはボディーガードは務まりません」
 そういう問題なのだろうか。
「大事な時に遅れて申し訳ありませんでした。もう大丈夫ですからね」
 と笑った口から真っ白な歯が煌めく。それ以上に日を反射したサングラスの奥からは、何やら言い知れない迫力が漂っていた。ええとこれは、僕達の無謀に対して怒っているのか、それとも……
「苺お嬢様への無礼な行為、万死に値します。撲殺、銃殺、絞殺、刺殺、焼殺、溺死……」
 ――って殺気!
 指の関節をごきごき鳴らしながら田辺さんは暗黒の笑みを浮かべた。
「さあ、お好きなものを選びなさい。我が社をリストラされた営業マン君」
 犯人の断末魔が響き、今度こそは本物の失禁でおじさんは再度ズボンを汚したのだった。

 苺を攫ったのは苺んちの会社をリストラされた人だった。偶然にも会社行事でちらっと見覚えがあった社長令嬢(太っていて目立ったらしい)が、生活困窮中のおじさんを攻撃したので仕返しをしてやろうと思ったらしい。
 肥満女子三人から田辺さんの巨体に重しが入れ替わり、未だ潰れたカエルのように這いつくばる犯人は息も絶え絶えに懇願する。
「た、助けて」
「誘拐犯のくせに何言ってんの」
 さっき使ったのとは違う小型の水鉄砲を構え、苺は犯人の顔目がけてじゅーっと発射する。
「ぐわっ、目がっ、目がぁぁぁぁっ」
「えへへー、唐辛子エキス入り液ー」
 そんなド○えもんみたいに名称を説明しなくても。安心だと思った途端すぐ調子に乗る。
 目を瞑り悶絶するおじさんの口に小雪が何かを放り込んだ。始めは変化がないと思ったけど、すぐに目をカッと開けて雄叫びを上げる。
 瑠璃が鉄扇を広げておじさんの口元を押さえた。
「ああ、駄目ですわよ。お口のものを吐き出すのはお行儀が悪いですわ」
「ふぐっ、ふごごごごごご、ごふぁっ」
「何入れたんだ小雪」
「わさびがたっぷり入ったマシュマロー。特別に作ってもらったんだ、えへ」
 どういうシチュエーションで、誰にこのマシュマロを食べさせるつもりで作ったのか。間延びした喋りの割に、やはりこいつもえげつなさレベルは高かったということか。
 とりあえず拷問され続けるおじさんを遠巻きに眺め、最早止める気力もない僕は大きなため息をつく。もういいや、この際死んでなきゃいいんだよ、うん。
 最後の方は僕が率先してこいつらの暴挙を指示したとかいう記憶は、この際抹消してしまおう。苺に怒ったことも結局うやむやになってるし、多分本人もけろっと忘れているはずだ。
 さあもう日が暮れる、帰ろう。かーえーろーうー。
「よし、じゃあ最後のアレやろう!」
「は?」
 苺の言葉に他二人は反応を見せたが、僕には何のことかさっぱり分からない。とりあえずこっちに来いと言われのそのそ近づくと、苺が調子こいた大声で言った。
「汚いおっさん臭いおばさん、乙女の敵はみんなの敵!」
「誰も言わないなら私達が教えて差し上げますわ」
「正義の鉄槌はー明日へと繋がるダイエットー」
 何か決め台詞吐きながらポーズ取ってるよ。何なんだ一体。そしていつこんな練習してたんだ。
 傍観していると三人の視線が突き刺さる。
「え、なに」
「ほら、早く。ここに立って両手を上に伸ばす!」
「は?」
 有無を言わせない雰囲気に押され、言われたとおりに端っこへ並び両手を上げる。そしたら更に腕を左に倒せと言われ、その時にようやく気づいた。
 向こうから一列に並ぶ三人と合わせれば、あっという間に僕まで特撮戦隊モノの集団決めポーズの一員に。
「美少女戦隊マシュマロン!」
 無駄に誇らしげな声が重なる。もちろん僕は一言も喋っていない。
 いちいちアホなことをやらせるなと文句を言おうとした瞬間、「はい、チーズ」といつの間にかデジカメを構えた田辺さんがぶっとい声で言いながらシャッターを切った。
 何だかもう、気にした方が負けだ。そんな気がした。

 ◇◆◇

エピローグ

 誘拐犯が逮捕されもれなく全員一緒に警察署へ連れて行かれた後、間もなく半泣きで現れた父さんと母さんに連れられて僕は帰宅した。帰りの車内は疲労の極地であっという間に寝てしまったらしく、気がつけば既に自分のベッドへ運ばれた後だった。
 肥満女子三人のお迎えはうちほどすぐには来なかったみたいだ。父さんが苺に一緒に帰るか聞いてたけど、自分が責任を委任されているからと、やんわり田辺さんが断りを入れていた。
 瑠璃と小雪の迎えが来るまで一緒にいてあげないとね、といかにもけろりとした感じで苺は笑っていた。
 でも付き合いの長い僕は、何となく苺が本気で笑っていないことに気づいていた。実際あの三人は正真正銘お嬢様でお金持ちだけど、親とどこかへ行ったりする機会が殆どないみたいだ。お父さんもお母さんも仕事が忙しいんだって。
 だから一度は起きたものの、一番先に連れ帰られて結局翌朝までのんきに寝ていた自分を何と言うか……微妙に恥ずかしいというか、何だかもやもやした気分にさせられた。
 まあ僕は純粋なる被害者なんだけどね。遭わなくてもいいトラブルに無理やり引っ張り込まれただけなんだけどね。
 だから余計な気を回す必要なんて――どこにもないんだけど。
 何となく悶々としながら登校した朝の教室には、三人の姿がなかった。普段ならさぼりかと呆れるところだけど何となく不安がよぎる。
 一度家に帰ってから電話くらいしてみようか。給食が終わった後そんなことをぼんやり考えて廊下を歩いていると、突然背後からど突かれて視界が飛ぶ。全身を廊下に打ち付けた後も立ち上がれないのは、僕をど突いた本人が背中にのしかかったままだったからだ。死ぬ、死ぬ死ぬ。真面目に死ぬ。
「おはよー竹斗」
「く、くる……」
「結局家帰って体重量ったら五百グラムしか減ってなくってさー、もう嫌になっちゃう」
 僕が余計なことを考えていた割に、全く普段と変わらない口調で背中に乗った苺は喋り始める。何だかほっとして……いや待て、どうして僕がほっとしないといけないんだ。
「おはようございます苺ちゃん。と潰れた竹斗君」
「おはよーみんなー」
「あれ、瑠璃と小雪も今来たんだ?」
「昨日激しい運動をしたものですから、身体を労わって午前はお休みしましたの」
「小雪もー栄養いっぱい摂らないといけないから一所懸命食べてきたー」
「あたしは起きたら昼でさ、もうびっくりだよ」
 ――ほんのちょっと前まで、少しくらい極たまになら苺のわがままに付き合ってもいいかななんて考えていた殊勝な僕は、さっきのど突きで宇宙の彼方まで飛んでいった。そして二度と戻らない。何かのアクシデントで戻ってきても僕がバットで打ち返してやるんだ。そう決めた、決めたったら決めたんだ。
「あ、ねえねえ、瑠璃と小雪は夏休みどこ行くか決めた?」
 いいから早く僕の上からどきやがれ肉塊。力の限りを込めて苺のぶにぶにした背中を下から押すが、無駄に安定性があるお尻のせいかびくともしない。
「いいえ、まだですわ」
「小雪もー」
「おい、いい加減にどけよ苺」
 上半身を可能な限り起こして首を捻ると、見上げた視界に肥満三人組の巨体が飛び込んでくる。
 一番近くにあったのは、目をきらきら輝かせた苺の横顔。これは……こ、これは。背中に言い知れない悪寒が走り抜けた。
「じゃあさ、『四人で』無人島サバイバルごっこしない? 結局あんまり痩せられなかったからさあ、マシュマロンの活動第二弾ってことで」
「まあ、面白そうですわね」
「珍しいフルーツ生ってるかなあー?」
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁっ」
 僕は喉が擦り切れそうなほど大きな声で叫びながら、魔の夏休みがやって来るまでにどうすれば災厄を回避できるか、脳をフル回転させて考えていた。
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