モクジ

● 桃香、パンツミッション  ●

 やっと鬱陶しい梅雨が明けたばかりの七月。
 初夏の眩しい光の中、ちょっとした期待を胸に白河桃香は登校してきた。
 生まれてこのかた一度も染めたことのない艶光りする髪をポニーテールに縛り、黒目がちの大きな目は教室内を見回す。
 中学二年生という肩書きがすっかり馴染んだクラスメイトは思い思いにざわめいて、桃香はその間を通り抜け自分の席に着いた途端に名前を呼ばれ振り返った。
「おはよう」
「おはよう、麻里」
「はい、誕生日おめでとう」
 声をかけてきたのは幼稚園時代からのくされ縁である幼馴染、杉原麻里だった。麻里は綺麗にラッピングされた小さな袋を差し出している。そう、今日は桃香の十四歳の誕生日なのだ。
 桃香は素直に大きな瞳を輝かし、満面の笑みを浮かべてそれを受け取った。
「きゃー、ありがとう。何々、これ何が入ってるの?」
「ふふ、い・い・も・の」
 中学二年生にして高校生の彼氏を持つ麻里は、艶やかな長い黒髪を肩の上で揺らして意味深に微笑んだ。すらりと細身なのに、出るところは出ているなんて反則だ。自らの控え目な成長途上部分に視線を落とし、桃香は思わず無言になる。
 しかしすぐ、いや、自分こそが年相応なんだと思い直していそいそとプレゼントのラッピングを開ける。袋から出てきたのは透明のプラスチックケース。その中に入っているのは…………はて、黒いレースが贅沢にあしらわれているが何だろう。
「ハンカチ?」
 小首を傾げながら箱を開け取り出すと、桃香は無造作に広げた。そして絶句する。
「パ、パパパパ」
 桃香の奇声に周囲のクラスメイトが次々と振り向く。桃香は慌てて、黒いレース地を閉じ込めるように手の中に握り締めた。それはハンカチなんかじゃなかった。黒いレース地の、すごくアダルトな雰囲気漂うパンツだったのである。
「何でパンツなのよ」
「え、結構それ高かったんだけどなあ。気に入らなかった?」
 詰め寄る桃香に、麻里はにこにこしながら答えた。大人びた麻里ならいざ知らず、彼氏いない暦がそのまま年齢な桃香がエッチ下着を持ってどうしろというのか。
 全身で「いらんわこんなもの」と訴える桃香に、麻里は心外だと言わんばかりに切れ長の目を見開いた。
「折角可愛い顔してるのに、あんたは色気が足りないのよ。これならきっとタケルだってイチコロだから」
 今一番気になる男子生徒の名を出されてうろたえた桃香は、顔を真っ赤にして周囲をきょろきょろとチェックする。よし、誰にも聞かれていない。
 改めて麻里に文句を言おうと正面を向くと、幼馴染はすでに教室を出て行くところだった。桃香は眉根をしかめ、鞄の奥底にぎゅうぎゅうと黒レースのパンツを詰め込む。
 全く、このパンツで一体どうしろと。はいた姿を見せつけろとでも言うのかと、桃香は一人ごちる。
 大体イチコロって、タケルはゴキブリかい。そう呟いた時に後ろから声がした。
「呼んだか、白河」
 非常に聞き覚えのある声に、桃香は大口を開けて硬直する。ちょうど遅れて登校してきた佐脇タケルが側を通りかかったのだ。
 部活のバスケットボールのことしか頭になさそうな典型的運動バカの佐脇タケルは、二年生の新学期から一ヶ月間名簿順という天命で桃香の隣の席だった男子である。授業中に寝ていたり教科書を忘れて仕方なく見せてやったり、その恩も忘れて桃香の辞書に落書きをしたりする低俗なサルだった――はずなのだが。
 クラス委員で優等生な桃香とは天敵の如くケンカしていたはずが、気がつけばいつも視線で追ってしまう存在になっていた。非常に屈辱的ではあるが、身体を動かしている時のタケルは三割増しでカッコよく見えるのだ。
 タケルは日焼けした顔をわずかにゆがめると、小首を傾げる。
「すげー変な顔」
「うるさい!」
 驚愕の表情のまま固まっていた桃香は、その一言で融解するとそっぽを向いてどすんと席に着く。タケルはそれ以上突っ込むことはなく、桃香の横を通り抜けてずっと前の席へ歩いていった。
 一定期間が過ぎてクラスもなじむと席替えが行われ、二人の席は遠く離れてしまったのだ。
 鞄の蓋を必要以上に丁寧に閉めると桃香は意を決する。とにかく今日は、この黒レースのパンツを誰にも見られないように家まで持ち帰らねばならない。
 かくして、桃香の「パンツ・ミッション」は幕を開けたのである。

 だが、あっと言う間に窮地に陥った。
「きゃあ!」
 四時限目の体育の時間、運動場で桃香は思いっきりすっ転んだ。しかも前日雨が降ってできたぬかるみにしりもちをついてしまったのだ。
「あーあーもう、大丈夫?」
 麻里に助け起こされながら桃香は眉を八の字にする。
「だ、だめかも……」
 ハーフパンツにはどっぷり泥がついている。だが一番深刻だったのは、直接お尻まで伝わる冷たさだった。
 更衣室で着替える時に確認すると、やはりパンツまで泥の色が染みている。べったりと肌に引っ付く感触と濡れた布の冷たさがこの上なく不快だった。
 泥のついた体操服は制服に着替えれば問題ないが、パンツが濡れたままでは座ることもできない。どうしたものか。
「くっ、仕方ない」
 背に腹は代えられない。桃香は今朝もらった例のパンツに履き替え、昼休み時間に突入した校内で一人隠れるようにしてパンツを洗った。
 今日は晴天、七月の陽気である。おまけに台風が近付いているとかで、時折ごうごうと強い風が吹いていた。洗濯物などあっと言う間に乾くに違いない。
 黒レースのパンツはそれまで仮にはいているだけだ、下校前には交換できるはず。
 パンツを干す場所は、体育館の屋上にした。この熱いなか屋上で弁当を食べる者がいるとは思えないが、体育館の屋上は特に影になる場所もないから全面熱された鉄板のように熱くなっている。ここなら誰も来ないはずだった。
 一緒に洗った体操服一式をカモフラージュにして共に干し、風に飛ばされないように部室棟から拝借してきた洗濯ばさみでしっかり止めた。その後向かい側の倉庫の陰に隠れ、桃香は体育館に近付く者がいないかチェックしながら一人黙々と弁当を食べる。
 本当なら今日の昼食は、誕生日の桃香のために他の女子生徒が色々な手作りのお菓子を持参して盛大に食べる比べる予定だった。
「私のカップケーキ、クッキー、プリンがぁぁぁぁ」
 しょぼしょぼしながら弁当を食べ終える頃、桃香は体育館の入り口に近付く人影を発見して腰を浮かせる。
 短く刈られた黒髪、日焼けした健康的な肌にバネのありそうな軽快な足の運び。自分がその背中を見間違えるはずがない。視線の先にいたのは佐脇タケルだった。

 ◇

 タケルは体育館の重い引き戸を開けると、前方の舞台がある方へすたすたと歩いていく。彼は今悩んでいた。自分の間の悪さについて。
 白河桃香の誕生日が今日だと知ったのは偶然である。先月、クラスの女子生徒が話しているところをたまたま聞きかじったのだ。
 二年生になって初めて白河桃香という女子の存在を知った時、可愛らしい顔に白くて細い可憐な姿にタケルはどきりとした。名簿順の席で隣になれてラッキーと思っていたら、実は優等生でやたら気が強く、タケルの行動にいちいち文句をつける小うるさい女だと評価は転がるように落下した――はずなのだが。
 先月席替えが行われてせいせいしたと思ったが、微妙に気分がすっきりしない。というよりも残念に思っている自分に気付いてしまった。
 何もあんな気の強い女に惚れなくてもいいだろうと自分で思わず突っ込んだが、振り返ってみればそのケンカすら案外楽しかったような気がしないでもない。重傷だ。
 毎月の小遣いはほぼ買い食いで消えてしまうタケルだが、今月はぐっと我慢を通して桃香の誕生日プレゼントを買った。
 顔を合わせればいつもケンカになる二人だけれどこれを機会に一歩、いやついでに告白なんかもしちゃって十歩くらい進んでみようじゃないかと思っている。思い立った時に行動、これが猪突猛進型体育会系男子の基本である。
 だがタイミングが掴めない。朝一番でさり気なくプレゼントを渡してしまえと思っていたが、自分の余計な一言で桃香を怒らせて失敗に終わった。各放課時間には桃香の側に他の女子生徒がたむろしているので近付くことができず、悶々と弁当を食べ終わったタケルは誰もいない場所を探してここに辿り着いたのである。
 外の光が遮られて真っ暗な舞台横の階段を途中まで上り、タケルは溜め息を一つつきながら腰を下ろす。
「やっぱ帰りかな。今日からテスト週間で部活ないし、一緒に帰ろうって誘ってそこで」
 告白。
 何て伝えればいいのだろう。昨夜ずっと気が利いた言葉を考えていたが、結局思いつく前に睡魔に勝てず意識が飛んでいた。夜も授業中も、寝つきの良さでは右に出る者のいないタケルである。
「やっぱりストレートに好……」
「佐脇ーっ、あんたこんな所で何やってるの!」
「わぁぁぁぁぁぁっ!」
 突然告白の相手が目の前に飛び込んできたので、タケルは暗い山中で鬼婆と遭遇したかの如く驚愕の表情になる。でかい叫び声が階段じゅうに響き渡り、桃香はうるさそうに眉根をしかめた。
 どうしてこんな所に桃香が。不意打ちを食らってタケルの心臓が飛び出しそうなほど跳ね回った。
「何だよお前」
「あんたこそ何よ」
「俺はちょっと考えごとがあってだな……そういうお前は何しに来たんだよ」
「わ、私は体育館に忘れ物を取りに来ただけよ」
 お互い不自然に裏返った声、そして無言。自分の意図を見抜かれてはならないというのが、現段階における二人の重要ポイントである。
 だが待てよ、とタケルは考え直す。体育館に二人きり、これはまたとない告白チャンスではないだろうか。
 だがタケルがもたついている間に、桃香がずんずんと階段を登ってすぐ目の前にやって来る。タケルの手首を掴み、「体育館は用もないのに入ったら駄目なの」と分かったようなよく分からないようなことを口走りながらぐいぐいと引っ張った。
 引っ張られるままに立ち上がり、階段を数段下りる。だがタケルは意を決して手すりを掴み、力づくで立ち止まった。よし、言うんだ俺、頑張れ俺。
 だがその時振り返った桃香はすごく困ったような顔をしていた。頬を染め、瞳を潤ませてタケルを階下から見上げる。
 何とかしてパンツを干した屋上から引き離そうと桃香が必死になっていることなど知る由もない。何かの拍子に黒レースのパンツを見られたらどうしようという羞恥と焦りは、
桃香の頬を染めて瞳を潤ませていた。
 だが実態を知らないタケルには、その様子が何だかとっても色っぽく映った。桃香を可愛らしいと思うことはあっても、こんなふうにドキドキさせられるのは初めてだ。
「白河」
「いいから早く出なさい!」
 瞬時に背後に回った桃香に背中を蹴られ、タケルは結局何も言えないまま体育館を強引に追い出された。

 五時限目が始まるまではまだ余裕がある。タケルを蹴り出した後桃香は風のようにどこかへとすっ飛んで行き、タケルは何となく一人で教室に戻った。
「おータケル、どこ行ってたんだよ。長いウンコか?」
 教室の隅でだべっていた男子生徒数人が振り返り、手招きをする。こともあろうにウンコネタかよとうんざりしつつ、タケルはふらふらとその輪に加わった。
「それでさ、これは重要な法則なんだ」
 さっきの桃香は可愛かったなあと反芻しているタケルをよそに、仲間は構わず会話を続ける。
「女の下着ってさ、上下セットで使うのが常識なんだよ」
 だからどうした。とタケルはぼんやり思ったが、何だか突っ込む気力がなくて黙っていた。中学二年になると女子生徒はあらかたブラジャーを使い始めるので、制服の白い生地から透けて見えるラインなんかに興味津々の友人達は講釈に感慨深そうに頷いている。
 ちなみに、その定義が女子中学生に当てはまる確率は限りなく低いという真実は、夢を打ち砕く無粋な情報に過ぎないので割愛させていただく。
 すると教室の入り口から桃香がふらりと入ってくる。どことなく疲れた様子で、さっきの潤んだ目といい、いつもと違う彼女にタケルは少し心配になった。
 偶然他の友人も桃香の姿が目に留まったらしく、声を低めて仲間に耳打ちする。
「なあ、今日の白河ってちょっと違わねえ?」
「どんなふうに?」
「うーん、なんつーか、いつもの凶暴さがなくてちょっと色っぽいちゅーか」
 俺はついさっきそいつに背中を蹴られたぞとタケルは憮然としたが、段々と顔が難しくなっていく理由はそれだけではない。
「ふーん、俺は杉原麻里派だけど、こうして見ると白河も結構いい感じ?」
「顔は可愛いもんな。怒らせるとこえーけど」
 冗談じゃない。ただでさえ潜在的ライバルがいそうなのに、これ以上競争率が上がったらたまらないとタケルの眉間の皺は更に深くなる。
「バカ言ってんじゃねーよ、あんな凶暴女のどこがいいんだ」
「タケルは授業中寝過ぎなんだよ。注意されてもしょうがないだろ」
「お前だって他人のこと言えねえじゃ……」
 タケルが視線を上げると、席に着いた桃香がこちらを振り返りぎろりと睨みつけていた。まずい、この様子ではさっきの「凶暴女」発言が聞こえてしまったに違いない。
 何かフォローする言葉はないかとタケルがない頭で考えているうちに、桃香はぷいと前を向いてしまった。いつもなら何かしら文句を言いつつ食い下がってくるところなのに、小さな背中はタケルを拒絶したように頑として振り向かない。
「駄目だ、今日はもう完全に終わってるよ俺」
 一縷の望みを下校時間に託しつつ、タケルは溜め息をついて頭を抱え込んだ。

 ◇

 桃香は五時限目の間中、鬱々としながら授業を受けていた。
 屋上に続く階段に座っていたタケルを見た時は、正直心臓が止まるかと思った。焦るあまり後ろから背中を蹴倒したのは悪かったが、何も凶暴女呼ばわりしなくてもいいじゃないかと思うのだ。
 その場の勢いで言い返していれば、タケルの一言でこんなふうに凹むことはなかったかもしれない。だが黒レースのパンツをはいている状態で不必要に男子生徒に近付くことは憚られたし、派手に動き回ることもできないから大人しく席に座っているのが一番安全なのだ。
 はあ、でもがさつな女だってタケルに嫌われちゃったかなあ。自分の誕生日だっていうのに凹む。
 教室の前と後ろでそれぞれ小さな溜め息がもれる。渡すタイミングを逃したままの誕生日プレゼントは、タケルの鞄の中に押し込められたままだった。

「さあ、乾いてるかな」
 五時限目が終わると教室を抜け出し、桃香は再び体育館の屋上にやって来た。相変わらず太陽がじりじりと照りつけているが、強風がびゅうびゅうと吹いているのでそれほど苦痛というわけでもない。
 干し時間は二時間弱だが、日差しと風のおかげですっかりパンツは乾いていた。
 いそいそと洗濯ばさみを外したその瞬間、突風が吹き抜けて桃香のスカートが盛大にめくれ上がる。
「きゃあっ…………あああああああああ!」
 反射的にスカートを抑えた桃香の目の前で、干されていたパンツがひらりと飛んでいく。どうせ屋上には誰もいないんだから、スカートがめくれようと構う必要はなかったのだ。桃香痛恨のミスである。
 パンツは金網を越え、後はゆっくり飛ぶように落下していく。桃香は慌てて下まで降りると、方角の当たりをつけて猛ダッシュした。
 体育は得意な方だが、今なら陸上の世界選手権で金メダルだって取れる自信がある。そんな感じで猛烈に駆け抜けてゆくと前方上空にひらりひらりと舞うパンツが一枚――とその落下予測地点を歩く学年主任のバーコの後ろ姿が。
 もちろんその先生が外国人というわけではない。単にすだれ頭になった寂しい頭髪について、密かに生徒達がつけた「バーコード」という無情なあだ名であることを明記しておく。
 そのバーコの頭上に桃香のパンツが今まさに落ちようとしていた。
 目測距離約十二メートル。桃香の軸足はしっかり大地を掴み、一瞬沈み込んだ身体はバネのように飛び上がる。
 一、二、三、ジーャンプ。
 見事日本女子中学生三段跳び記録を超えた桃香は、寸でのところでバーコの頭上からパンツをはたき落とした。
「って、はたき落としてどうする私!」
 振り返ったバーコは頭を抱えた桃香を見て不思議そうな顔をする。
「どうした、白河」
「あ、いえいえ。何でもありません先生」
「そうかー、今日は風が強いなあ。今も突風が吹きぬけただろ」
 視線を上げた桃香は戦慄した。バーコのすだれ頭は常に右側へ綺麗に撫で付けられているはずが、桃香の放ったアタックで生じた風圧により逆方向へ逆立ちへにょへにょと揺れていた。言えない、すだれが乱れてますよなんて幾らなんでも面と向かっては言えない。
「台風が近付いているそうです」
「あー、なるほどなあ」
 目をそらす桃香を不審がることもなく、バーコはそのまま歩き去っていった。きっと職員室に戻れば、同僚達からも微妙に視線をそらされることになるだろう。
 しかして叩き落としたパンツはすぐに見つかった。桃香は拾い上げたそれを握り締めて肩を落とす。
「――最悪」
 手の先から足元へ盛大に流れ落ちる水滴。
 薄毛の祟りであろうか。桃香のパンツは中庭の池の中に落下していた。
 今までの苦労は一体何だったのか。半泣きで絞ったパンツを体操服にくるんでしまい、桃香は例のパンツをはいたまま打ちひしがれて下校時間を迎えた。
 今日はもうとっとと帰ろう、すぐにでも帰ろう。クラスメイトの誰よりも早く教室を飛び出して下駄箱に向かった桃香は、靴に履き替えていると肩を小さく叩かれる。
「お、お前、足速過ぎ」
「佐脇」
 桃香の猛ダッシュを追いかけてきたのか、軽く息を切らしたタケルがそこに立っていた。
 いくら意中の相手といえど、今日はもう誰とも関わらず帰宅を急ぎたかった桃香は、適当にその場をあしらって去ろうと考えた。
 だがタケルの言葉の方が早い。
「一緒に帰らないか」
「え?」
 予想外の展開である。タケルと一緒に下校、タケルと二人で?
 呆然として眺めると、タケルは落ち着きなさそうに視線を泳がし返事を待っている。耳まで染まった赤の色が、この誘いにどんな意味が含まれているかをありありと示していた。
 もしかして。
 もう一度ちらりとタケルの顔を見る。近い距離で視線が合ってしまい、桃香の方までタケルの赤色が瞬時に伝染した。
 今日はもう帰りたい。大体外の風は吹き止む様子もないし、タケルと一緒に下校なんてとんでもないことだった。でも勘が外れていなければ、これってもしかしなくても……と桃香の脳は高速フル回転で二者択一の答えを導き出そうとする。どうしよう。
「ダメか?」
 打ちひしがれた犬のような目をするタケルに、桃香の口は反射的に答えてしまっていた。
「い、いいよ。ほら、行くわよ」

 桃香は今日の自分の浅はかな言動に今激しく後悔中である。
 折角タケルと二人で歩いているというのに、小さな風がスカートを揺らすことすら気になって気になって雰囲気を噛み締めるどころではない。
 こんなことなら何か理由を付けて一人で帰り、いつかどこかで仕切り直しした方がよっぽどましだと思った。
 意識がスカートに向かっているため、自然と桃香の口数は少なくなる。タケルの方もいつもの無駄口が飛び出てくるでもなく、二人は黙々と歩いている。
「あ、そうだ」
 タケルがふと立ち止まり、鞄の蓋を開け中をごそごそと探って何かを取り出した。
「今日お前の誕生日だよな、これやるよ」
「うそ、ありがとう」
 すっかり誕生日気分なんか吹き飛んでいた。まさかタケルからプレゼントがもらえるとは思っていなかったので、桃香は感激しながらそれを受け取る。
「開けていい?」
 タケルが頷くのを見て桃香ははにかむように笑い、綺麗にラッピングされた袋を開けた。
 出てきたのは透明のプラスチックケース。その中に入っているのは白いレースが贅沢にあしらわれている…………はて、この展開、今朝にもなかっただろうか。
「も、もしかしてパ……」
「何選んでいいか分かんなくてさ、そういうハンカチお前に合うかなーと思ったんだけど」
 顔を引きつらせていた桃香は、タケルの言葉で自分の勘違いを覚った。顔を真っ赤にしてパッケージごとプレゼントを握り締め、慌てて喋り出す。
「あ、ああ、ハンカチ! うん、私こういう綺麗なハンカチ欲しかったの、そうよね、ハンカチよね、あはは。どうもありがとう」
「気に入ってくれたならいいけど?」
 桃香のうろたえ振りを不思議そうに眺めながら、タケルは頷いた。
 桃香は丁寧にプレゼントを元の包装へ戻し、鞄の中へそっとしまう。自然と口元が緩んでしまい、嬉しくて仕方がなかった。
 てっきりがさつな女だと嫌がられていると思っていたので、こんなふうに女の子らしい物を選んでくれたことが嬉しい。散々な誕生日だと思っていたのに、最後は好きな人と二人で歩いて、誕生日までお祝いしてもらえたことがとても嬉しい。
 心の中がふわふわして、桃香はこれ以上ないくらい甘い砂糖菓子のような微笑を見せた。
 好きな女の子のそんな顔を見せられては、タケルの視線は否がおうにも釘付けになる。心拍数が急上昇し、猛烈な勢いで盛り上がってくる気持ちで胸がいっぱいになり溢れそうになった。
 変に気負わなくても、タケルの口が自然と動き出す。
「俺、お前のこと――」
 瞬間、無情な突風が吹き抜けた。
 幸せいっぱいの桃香の手はすっかり疎かになっていたので、スカートのガードはほぼフリー状態である。
 つまり、全部めくれ上がった。
 気前良く。お腹まで見えてしまうほどに。
 桃香はあまりの衝撃に叫び声すら出ず、顔面蒼白になったまま呆然と立ち尽くす。
 一方ばっちり正面から全部見てしまったタケルは、口を半開きにしたままやはり言葉もなかった。
 その時、タケルの脳裏に蘇る光景が一つある。
『女性の下着は上下セットになっている』
「ばっ」
 か、何考えてるんだ俺。と思わず手で口元を押さえたが、タケルの顔はみるみる紅潮して血管から血が吹き出そうなほど心臓ががなり立てた。
 さっき見たのが白昼夢でないのなら、当然上も――と一度想像してしまったら、もう自分でも収拾がつかない。
 目の前の桃香はちゃんと制服を着ているのに、上下黒レースの下着姿に見えてしまうのだから重傷を通り越して瀕死だった。
 駄目だ、これ以上ここにいたら危険だ。色々な意味で。
「わり、俺用事あるから先に帰るわ」
 まだ半分意識が飛んだままの桃香は呆然と頷き、タケルは脱兎の如くその場を後にした。
 途中かけの告白はそのままに。
 一人取り残された桃香はがくりと地に膝をつき、正味三十分は動けなかった。

 ◇

 翌日は天気予報通りに台風が通り過ぎ、翌々日になって登校した生徒達は今日も変わりなく元気に朝の教室でざわめいている。
 なぜか半分死人になっている桃香の顔を眺めながら、麻里は柳眉をしかめ溜め息をついた。
「朝から辛気臭いわねー、どうしたの桃香。昨日台風で学校が休みになったのが嫌だったとか?」
「ううん……休みで助かったわ。うふふふ」
 口元は笑っているのに目が死んでいる。
「ちょ、あんた怖いって」
「いいの、もう私の人生終わったから」
「は?」
 麻里はしばらく取り留めのない桃香の愚痴を聞きながら、さっき通りがかりにすれ違ったタケルが「俺、もっと大人な男になれるように頑張るんだ」と友達に謎発言していたことを振り返りつつ、しきりと首を傾げるのだった。

モクジ
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