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● ぷりぷりプリン☆  ●

 君は見たかあの勇姿を♪
 僕らの星を守る、正義の味方ー♪
 君は知るかこの力を♪
 正義の味方ー、ううー、正義、せーいぎー、正義の味方宅急便♪
「ぬ、これはいかん」
 会社のテーマソングを口ずさみながら絶好調とばかりに身体を揺すっていたその男は、目の前の計器が一斉に異常値を示していることに気付いて顔をしかめた。
 行動はまことにバカっぽいが、彼は意外にも整った容姿をした中年の男性である。形の良い太目の眉に、目と口元に刻まれた小さな皺。少し崩し気味のオールバックからほつれた前髪が額にかかる様は「ダンディ」の一言に尽きる。
 ただ一つ難を言うのであれば、身に纏っている衣服が目も覚めるような真っ青な「全身タイツ」であったことか。
男はパネル上に沢山並んだボタンをパチパチと押し、相変わらず船内に鳴り響くサイレンと赤い警告灯の光を彫りの深い横顔に受けながら思わずうめく。
「駄目だ、とにかく救難信号を出しておこう」
 透明な保護カバーをかぽりと外し、少し毛の生えた太い指を迷わず伸ばす。そして中の赤いボタンを押した瞬間、前方のメインディスプレイに数字が表示され何故かカウントが始まった。
「ピー、緊急脱出します。搭乗員は座席を動かず、とりあえず歯を食いしばれ」
 女性の声に作られた機械の言葉に、ボタンを押した本人が飛び上がる。否、突然座席の後ろから飛び出してきた生きた蛇のようなシートベルトが何本も巻きついて動けなくなっていたので、気持ちだけ飛び上がっただけだった。
「しまったぁぁぁぁぁ、間違えて脱出ボタンを押してしまったのか!」
「何てありがちな」
 と冷静な突っ込みを入れたのは先ほどの女性音声の機械音だ。
「お前がそれをいうか!」
 しかしその続きを言い切る前に、シートベルトでぐるぐるにされた全身タイツの身体は脱出ポッドに詰め込まれ、あっという間に宇宙船から強制排出された。
 場所は銀河系の端、地球のすぐそばである。当然ポッドは引力に引かれて青い球体目指して落下してゆく。
「まだ仕事が残ってるんだ、戻って来いタマーっ」
 ちなみにタマというのはこのいかれた宇宙船の名前だ。だが持ち主の呼びかけも空しく、両者の距離はあっという間に広がって視認できなくなった。

 
その一、山田一郎

 それから三日後の地球、日本東部のどこかの話。

 都心からの電車を乗り継ぎ、人もまばらになった地元駅のホームに立つスーツ姿の男がいた。
 既に時間は二十三時過ぎである。山田一郎は冴えない表情で携帯電話を開くと、ためらいがちにボタンを押し始めた。
 待つことコール音十数回、やっと出た相手の声はまだ若い女性のものだった。
「はい」
「あ、佳奈か。お父さんだけど、お母さんに代わってくれるか」
「お母さん?」
 数秒の間があり、遠くの方から「別に話すことなんて無いわよ」と素っ気ない愛妻の声が電話を通して一郎の耳に届く。
「手が離せないって」
「そ、そうか。……お父さん何かお土産買って帰るよ、佳奈は何が欲しい?」
「えー、どうせコンビニでしょ。こんな遅い時間に食べたら太っちゃうしー」
 ご機嫌取りのつもりが予想に反して娘の不満そうな声に、一郎は眉根を寄せた。
「何だ、せっかくお父さんが佳奈のことを思って」
「うざ」
 今年で十七になる愛娘は、短いその一言で父の言葉と心臓の動きを華麗に止めることに成功した。いや、止めただけではなく確実にみじん切りくらいにはしただろう。
「あ、どうせ何か食べてきてるだろうから、晩ごはん用意してないよってお母さんが言ってた。じゃねー」
 容赦なく一方的に切られた電話を呆然と見やり、一郎は鬱々と溜め息をついた。
 少しでも居心地よくなればと思えばこその、「帰るコール」だったのに。こうしてたまにしてみれば逆にストレス値を上げただけで、作戦はあえなく失敗に終わるのだった。
「ああ、今日も家に帰りたくない」
 毎日電車に揺られて通勤二時間。建築会社の営業マンである彼は、今日もクライアントの都合で打ち合わせが夜間になり最終電車での帰宅である。
 疲れた心、疲れた身体。おまけにストレス解消の夜間の飲食が祟って、若い頃は柔道で鍛えた体も四十五歳の今では立派に下っ腹が出っ張り、「メタボリック症候群」とことある毎に妻の静に嫌味を言われる今日この頃。
 待っていた乗換え電車がホームに入ってくると、一陣の風が通り抜ける。それは一郎の頭頂部の頼りない毛髪ををふわふわと揺らし、そんなことで抜けるはずもないのだが思わず手が伸びて頭を押さえてしまった。
 かつては剛毛で知られた毛髪も、寄る年波とストレスと遺伝子には勝てず、日々薄くなってゆく一方だ。
「お父さん臭い」という娘のボディーブローにもめげず、毎朝欠かさず頭頂部に育毛剤を降らせる努力を続けている。人間諦めが肝心だとも言うが、簡単に諦めるわけにもゆかない微妙なお年頃四十代の春……。
 乗り込んだローカル線の車両には他に客はおらず、広々とした空間のなか一郎は横長の座席に鞄を置き、どさりと座り込んだ。
「ふー」
 座った尻の接地面から力の全てが座席に染み出すような、この虚脱感。
 最終電車でもいつもはもっと客でひしめいていることが多いのだが、たまにはこんなふうに誰にも気兼ねなく大股を広げて座るのもなかなか良い気分であった。
 しかし元々腰痛持ちの一郎は長時間座っていても腰が痛くなる。かと言えば、立ちっぱなしも足が痛くなって疲労の溜まった身体にはきつい。
 つまり彼にとって通勤とは、修験者の修行の如く「耐えるべきもの」なのである。
 再び出た溜め息と共に腹の虫が大きな声で鳴き、思わず自らの出張った腹を押さえた。
 今夜の打ち合わせ場所はクライアントの事務所がある秋葉原だったのだが、仕事帰りにどこか寄るにも目に付くのは奇抜な店や電器屋とおもちゃ屋ばかり。
 だんだん目がチカチカしてくるうえ、道を行くキテレツな格好の少年少女らを見てすっかり食欲を失ってしまい、一郎はそのまま帰路に着いたのだった。
 しかしだ。自分の稼ぎで妻と娘は食事をしているというのに、自分の分だけ用意されていないという不遇は余りにも酷い仕打ちではないだろうか。
 いつも深夜帰宅とはいえ、外で食べてくるのは月に数回……いや週に二、三回のことなのだから、自宅で遅い晩飯を空しく一人で食べることが絶対的に多いのである。
「どうせ今日も何か食べている」と勝手に決め付けられるのは、一郎としては心外もいい所なのだった。
 妻は一つ言えば五倍にして返すという魔法の口を持っているので、「面倒事は黙って通り過ぎるのを待つのに限る」と家では寡黙になりがちな一郎であるが、さすがに今回は帰ったら文句を言ってやろうと心に誓う。
 しかし腹が減った。もしかしたら何かお菓子でも入っていないかと鞄をまさぐってみると、その指に紙の小箱が触れた。
「何だったかなこれ」
 手の平サイズのオレンジ色の紙箱は人差し指を立てたイラストだけしか描かれていない非常にシンプルなもので、中を開けてみるとカロリーブロックが三本入っている。
「ちょっと味気ないが、まあ背に腹は変えられんか」
 透明の包装を開けてカロリーブロックに食らいつきながら、一郎はこのお菓子をどこで手に入れたかと記憶を探った。
 口の中でもぐもぐ噛んでいるうちに、「そうだ。昨日出先からの直帰途中、道で行き倒れている変な男を助けた時にもらったんだ」と思い出す。
 昨日は郊外の方まで打ち合わせに出ていた一郎は、その帰途大きな図体の男が繁華街の隅に倒れているのを発見した。しかし道行く人々は、皆みて見ぬ振りをして通り過ぎてゆく。
 何故なら、その男の服装が真っ青な全身タイツだったからである。
 変態の酔っ払いに関わるのはごめんとばかりに通行人に無視され続けていたわけだが、早く家に帰りたくなくて当ても無くぶらぶら歩いていた一郎はそれを見過ごすことができなかった。
 大学時代まで続けていた柔道のため、生粋の体育会系思考の一郎は面倒見の良さでは他に類を見ない。七年前に新居を購入してからローン返済のため節約の鬼と化した妻の静は、同僚や後輩にすぐ奢ったり物をあげたがる夫に目を釣りあがらせて文句を言うのが常であったが。
「静も昔は可愛かったのになあ」
 このように昔を懐かしむ場合、大抵己のマイナス変化(肥満、薄毛)については棚上げするのが人情である。
 とにもかくにも一郎はそのタイツマンの側に座り込み、肩を軽く叩きながら声を掛けたのだ。
「ちょっとあんた、こんな所に寝てると風邪ひくよ」
 青いタイツマンの大腿筋が一瞬ぴくりと動き、それに連鎖するようにして左右の上腕二頭筋がぴくぴくと反応を示した。夜間なのでぱっと見よく分からなかったがその身体はかなり逞しく、全身タイツ越しに筋肉の盛り上がりが隆々と分かるほどである。
「す、水素化合物を……」
 未だうつ伏せのままタイツマンは震える手を伸ばした。
「水素化合物?」
 一瞬顔をしかめたが、すぐにそれが水であると理解して一郎は鞄を開ける。確か飲みかけのお茶のペットボトルが入っているはずだった。
「ほら」
 蓋を外して手渡してやるとタイツマンはやっと起き上がり、アスファルトの上で正座しながらお茶を一気に飲み干した。
 だが意外なことに、街灯に照らされたタイツマンの素顔は西洋系の外国人の容姿をしているではないか。
「ダ、ダイジョブデスカー?」
 先ほど日本語で「水素化合物」と喋った相手に今更、しかも日本語をカタコトにしたところで何の効果も無いことは小学生でも分かることだ。
 咄嗟に出てしまった自分のアホな行動に赤面する一郎を、タイツマンはじいっと見つめた。
 形の良い太目の眉に、目と口元に刻まれた小さな皺。少し崩し気味のオールバックからほつれた前髪が額にかかる様はまさに「ジェームズ・ボンド」。
 何代もいるからどのボンドと言われても困るが、一郎の乏しいボキャブラリーではそんな例えが限界である。
 これで全身タイツでなければ綺麗なお姉さんだって率先して助けてくれるだろうにと思いつつ、多分自分と同年代らしきタイツマンに一郎は手を差し出した。
「立てるか。帰り道が分からないなら、警察に一緒に行ってやろうか?」
 タイツ・ジェームズ・ボンドは思い切り目を見開き、感激したように一郎の手を握り締めた。
「水素化合物は我が星では非常に貴重なものです。それをこんなに恵んで頂けるとは、あなたは何て良い人だ。感動だっ」
「我が星?」
 いい年をして、遠くの星からやって来たという自分設定の妄想に生きる輩なのだろうか。内心助けたことを一郎は後悔し始める。
「そうだ、お礼にこれをあなたにあげましょう。わが社の製品で『正義の味方の素』です。あ、説明書は箱の中に一緒に入っていますからご心配なく」
「ちょ、ちょっと待て。あんた今どこからそれ出した」
 嬉々としてオレンジの紙箱を差し出した毛深い大きな手が、数秒前に全身タイツの股間部分に突っ込まれて引っ張り出すところを一郎は見逃さなかった。
 しかしタイツ・ジェームズ・ボンドは全く気にする様子も見せず、ぐいぐいと一郎の手の中にそれを押し込んでから立ち上がる。
「申し遅れましたが、私の名前はムチムチといいます」
「む、むち……」
 ちなみに補足すればムチムチの故郷ピモ星の言葉でそれは「ダンディ」という意味を持つのだが、一郎がそれを知るはずが無い。
「それでは私はタマを探さなければならないので、これにて失礼。多分この辺で間違い無いはずなんだが……」
「――猫?」
 白い歯をキラリンと光らせ、ダンディな横顔の余韻を残してムチムチはしゃなりしゃなりと全身タイツから浮き出るヒップを動かしながら姿を消した。


「おぇっ」
 たった今飲み込んだカロリーブロックがどこから出てきた代物であるかを思い出した瞬間、一郎は言い表しようの無い悪寒に襲われる。
 残った二本はそのまま鞄にしまい、瞬間的に胸焼けになった胸部を宥めるように手でさすった。
 すると途端に電車のブレーキがかかり、金属の摩擦音と慣性の法則で身体が斜めに傾く。止まった駅は一郎が降りる一つ前の場所で、窓ガラス越しに見るとホームに下りた人影は一つだけだった。
 こんな遅い時間だが、階段の方へ歩いているのは少女である。――――いや、もっと年はいっているか?
 クリーム色のミニ丈ワンピースに大きな白襟。胸元に不自然なくらい大きな茶色のリボンを付けた、普通の服にしては少し雰囲気のおかしい格好であった。
 それだけ見たのならあまり疑問には思わなかっただろうが、一番始めに目に付いた頭部の上方で二つに縛られたあの長い黄色のカツラ。あれが一歩あるくたびに、彼女の周囲をたちまち異様な空間に作り変えているのである。
 よくよく顔の中まで見てみると、二十代はとうに過ぎていそうであった。手に持っている派手な紙袋にはマンガ絵が描かれていて、同じ様な服装に黄色の長い髪の少女がポージングをとっている構図だ。上に何か文字が書いてある。
「『ぷりぷりプリン☆』? そう言えば秋葉原でも見たな、あんな格好してるの」
 人間が人間らしい格好もできなくなるとは世も末だ。自分の老後を任せるべき世代がこんな若者ばかりではと溜め息をついた時、開いたままだった電車のドアが閉まって動き出す。
 コスプレ少女の姿が見えなくなり、ホームの明かりも遠くなってガラスの向こうは再び夜の色に包まれた。
 やがて窓は鏡のように、自分を含め周囲のものを映し出す。はずなのだが、一郎しか居ない車両なのに正面に写っているのは金髪のツインテールの少女である。何故だ。
 右を見た。左も見た。しかし車内はガランとして他に乗客は見られない。
 そしてもう一度正面を向き、よく確認しようとして前のめりになった。
 やはり居た。ガラスに映る、前のめり姿勢になった金髪少女が。
「な、ななななな」
 一郎は狼狽しながら自分の首から下を見た。クリーム色のミニ丈ワンピースに白い大きな襟、胸元には茶色いリボン。
「俺のスーツはどこへいったんだ!」
 しかしその声すらも野太いいつもの声ではなく、妙に甲高くて気味が悪い。
 頭を動かすとゆさりと重さを感じ、顔の両側面で金色の毛束が揺れるのが見えた。
 何てことであろう。
 齢四十五のおっさんが、何故か一瞬にしてコスプレ少女に早変わりしてしまったのだ。
 せめてもの救いは顔も体つきも本当の女性になっていることか。いや、自分には女装願望など断じてないぞと一郎は頭をぶんぶんと振る。
 さっきのコスプレ女性をバカにしたバチが当たったのか。それとも自分は今幻覚でも見ているのだろうか。

「お礼にこれをあなたにあげましょう。わが社の製品で『正義の味方の素』です」

 一瞬、白い歯をキランと光らせたあのタイツ・ジェームズ・ボンドの言葉が頭の中でフラッシュバックした。一郎は慌てて横に置いてあったカバンを開け、オレンジ色の紙箱を取り出す。
 すると再び電車はブレーキをかけ、ガタンと停まると出入り口が開いた。
「黄緑ヶ丘ー、黄緑ヶ丘ー」
「は、降りないと!」
 鞄とカロリーブロックの箱を抱え、一郎は反射的に電車から飛び降りた。不意に視線を感じて振り向けば、隣の車両に乗っていたらしきサラリーマンと視線がかち合う。
 全身の毛穴という毛穴から汗が噴出す感覚を覚えながら、一郎は硬直したまま言葉も無い。
 しかしサラリーマンは黙って片眉を上げ、何も見なかったかのように視線を逸らすとホームの階段の方へ歩き去っていった。
 現代人の無関心万歳。見なかった振り万歳である。
 電車が発車して音の消えたホームにぽつんと立ち尽くした一郎は、設置されている椅子に腰掛けると握り締めていたオレンジの箱を開く。
 中には残りのカロリーブロックの他に一枚の紙が入っていた。しかし取り出して開いてみると全くの白紙である。
 やはりこの怪奇現象の原因がもらったカロリーブロックだったなどと、そんな馬鹿げた考えはあり得ないことなのだ。
仕事の疲れと家に帰りたくない症候群のストレスがピークに達して、きっと自分は今幻覚を見ているんだと一郎は頭を抱える。
 だがそんなふうにしているたった今、手に握られた白い紙がまるであぶり出しの様に徐々に文字が浮き上がってきていることに、彼はまだ気付いていないのであった。


その二、正義の味方参上

「正義の味方の素取扱説明書」
 正義の味方の素は、我が社「正義の味方宅急便」がアンドロメダ星雲地方を中心に展開しているスーパー変身アイテムの通信販売商品です。
 これであなたもあっという間に正義の味方。
 悪人をやっつけるもよし、怪物を叩きのめすのもよし。コスプレ変身アイテムとして使ってもよし!
 ですがこれを使って悪事を働いた場合は、宇宙法にのっとって厳重な処罰が下りますのでくれぐれも注意してください。
 基本的に購入前に「正義漢審査」を通った方しか購入できないシステムになっていますので、そんなことは発生しないと当方は安心していますけどね。きゃるん。
(効能)
・変身は正義の味方の素を一本食べただけで自動発動します。
・変身後のビジュアル、技については多種多様ですが、基本的に一本目を食べた時の脳内イメージを読み取る方式です(重要)。
・能力的には元の筋力の十倍。外的衝撃に耐えられるように筋組織と骨を守るため、微弱バリヤーがあなたの身体を守ります。元々持病を持つ方はその面が改善されるわけではないので、くれぐれも頑張り過ぎないようにお気をつけを。
・変身解除の方法は我が社のCMで流しているあの踊りが解除ダンスになっております。張り切って踊ってくださいね♪

「アンドロメダ星雲に流れてるCMなんて知るかー!」
 謎の金髪少女に変身してしまい途方に暮れていた一郎がいつの間にか日本語が記されていた説明書に気付いたのは、迎えに来た軽自動車が駅前に停まった時であった。
 こんな姿を家族に見せるわけにはゆかない。というか、このまま家に入ろうとすればたちまち不審者に間違われ警察にでも通報されかねないだろう。
 そして代わりに一郎の頭に浮かんだのは、隣町に住んでいる弟の次郎の存在であった。
 夜中にいきなり電話で呼びつけられた次郎は、赤い軽自動車から降りてくるとガリガリのノッポな身体でジェスチャーを取りながら大仰に驚いてみせる。
「ぷ、ぷぷぷぷぷプリンちゃん? 本物?」
 狂喜乱舞しながら抱きつこうとする三十八歳の実弟を一郎が片手ではたくと、大きくても虚弱な弟は簡単に吹っ飛んだ。
 効能が元の筋力の十倍と説明書に書いてあったことを思い出し、吹っ飛ばした方も思わず自分の手を口を開けながら見つめてしまう。
「酷いよプリンちゃん。僕はクサイダーの仲間じゃないよ、君の味方なのに」
「何を言っているんだこのボケ。俺だ、一郎だ。電話でそう言っただろ」
「え、本当に? そんな可愛い声してるのに?」
「じゃあお前、どうして俺の電話で隣町の駅までこんな夜中に出張ってきたんだ」
「いやあ、それは…………ははは。でも本当に兄ちゃん?」
「――小学二年生の時、学校トイレの個室に入るのを友達に見られるのが嫌で我慢した挙句、パンツの中で……」
「うあーっ、もういい。兄ちゃんだよ、うん。大丈夫分かってるよ、俺達兄弟だもん」
 慌てて取り繕おうとするでくのぼうの弟を見上げ、一郎は可愛らしい顔をしかめる。
 弟の次郎は五年前に勤め先を辞めたあと定職につかず、バイトと平行して漫画の同人誌というものを作って生計を立てているらしいことは知っていた。しかし具体的にそれがどんなものであるかは一郎は知らない。
 以前部屋を訪れた時に床に散らばっていた原稿は明らかに十八禁の臭いがしたので、それ以上は突っ込まないことにしている兄なのであった。
「よく見たらプリンちゃんの衣装のリボンにはそんな飾り付いてないしさ、微妙に違うもんね」
「そうなのか?」
 確かに一郎が着ている衣装の茶色いリボンの中央には青いガラス玉の飾りが付いていたが、それがさっきのコスプレ女性と違っているのかどうかまでは覚えていない。
 こんな細かい点を瞬時に見抜くとは、次郎のオタクっぷりもなかなか侮れないというものであった。
 しかし家族にこの姿を見せられないのは確かだが、このコスプレ少女姿で次郎に会うのはもっと危険な行為ではなかろうか。
 はたとそう思い当たり顔を上げると、至近距離に不穏な空気を察知して後ろを振り返る。
「何だ?」
 ぷりぷりプリン☆そのものである一郎の匂いを嗅ごうと、背後から次郎がいつの間にか近寄ってきていた。
 微妙に頬を染めた次郎のデカ顔を間近に捉えた一郎の腕が、反射的にしなる。
「ぷっちんパンチ☆」
「うひょうぁぁぁ!」
 小さな握り拳は容赦無く次郎の顔面にめり込み、細長い身体を少し離れた花壇まで吹っ飛ばした。
 しかし加害者側の一郎は愕然と立ち尽くし、口元をわななかせる。――――自分は今、妙な台詞を口走らなかっただろうかと。
 殴られた弟が微妙に嬉しそうな悲鳴をあげていたことは、この際気にしないことにして。
「まさか本物のプリンちゃんのぷっちんパンチを受けることができるだなんて〜」
 花壇の花たちを背中で押し潰し、星の少ない夜空を仰ぎ見たままのびる次郎が頬をさすりながら呟いた。
 変身後のビジュアルと技は、正義の味方の素を食べた時の脳内イメージを読み取る方式なのだという。
 ぷりぷりプリン☆というものがどういうものか一郎はさっぱり知らなかったが、どうやら知識が無くても技は自動発動した上、テレビの正義の味方よろしく技名も自己申告するようになっているらしい。
「何だよ『ぷっちんパンチ』って。ど、どうせなるなら仮面ライダーになりたかった……」
 はるか昔の幼少時、本気で将来は本郷猛(初代仮面ライダー)の後継者になろうと心に誓ったことのある一郎は、昔取った杵柄で変身の振り付けだって今でも覚えていた。それを活用できないのはまことに残念なことである。
 とは言えバッタもどきの改造人間になっていたら事態はもっと悪化していたに違いない。少なくとも今の姿は変わったワンピースを着た金髪美少女なので、誰かに見られてもコスプレをしている程度と認識されるだけであろう。
 細い肩を落とす一郎に、やっと起き上がった弟が卑屈に笑った。
「でもプリ……兄ちゃん、どうしてそんな姿になっちゃったのさ」
「そうだ、元の姿に戻るためにはあの男を捜さなければ」
 昨日出合ったタイツ・ジェームズ・ボンドはムチムチと言ったであろうか。あの変態を何とか捕まえ、説明書に書いてあった解除ダンスとやらを教えてもらわねば一郎は永遠にこの姿のままでいなくてはならないかもしれない。
確かあの街の中に探している猫の手がかりを掴んでいるような口ぶりであったので、まだ同じ場所に居れば良いのだが。
 停めてあった赤い軽自動車に歩み寄り、助手席のドアを開けながら一郎は弟を振り返る。
「行くぞ次郎」
「どこへ?」
「ムチムチ探しだ!」
「む、むちむち探し……」
 別のことを連想をしたに違いない次郎の表情が一瞬だらしなく緩んだが、兄の叱咤に促されのろのろと立ち上がるのだった。
 


「それでさあプリンちゃんはたった一人で悪の集団クサイダーと健気に戦うわけだよ」
 夜の道をかっ飛ばす真っ赤なスポーツカーならぬおんぼろ軽自動車の狭い車内で、次郎の弾丸トークは止まる事を知らない。
 一郎はいい加減うんざりしていたが途中下車するわけにも行かず、長い身体を縮込ませるようにして運転席に収まる弟の話を辛抱強く聞いていた。
 どうやら「ぷりぷりプリン☆」というのは大変人気のあるテレビアニメらしく、漫画やゲーム、アイテムの玩具製品化など様々な媒体に展開しているようだ。
 しかしたった十四歳の一少女が悪の集団と戦うという馬鹿げた設定が、見た目は少女でも頭が固い一郎にはさっぱり理解できない。
「本名は森本みるくって言うんだ。プリングミを食べると変身できるんだけどね、僕は普段の茶色い髪のみるくちゃんも結構好きだなあ」
「お前の趣味なんざこの際どうでもいい。いい年をしてアニメなんぞにうつつを抜かしおって、就職はどうした、就職は」
「うう、見た目はプリンちゃんでも中身はいつもの怖い兄ちゃんだ」
「悪かったな」
 腕を組みふんぞり返りながら四十前の男を叱る十四歳の少女という構図は、事情を知らない第三者が見たらさぞ倒錯した世界に映ることであろう。
「兄ちゃん、ちょっと俺トイレ行きたいんだけど」
 そう言って赤い軽自動車は速度を落とし、途中見つけた大型アミューズメント施設の広い駐車場へと乗り入れる。
 姿を人目に晒したくない一郎は当然車内で待つことにしたのだが、何故か次郎はいつまで経っても煌々と明かりの灯ったゲームセンターの中から出てくる気配が無かった。
 十分経ち、二十分過ぎた辺りで痺れを切らして携帯電話を取る。だが視線の先に運転手席側のドリンクホルダーに入った次郎の携帯電話を発見し、一郎は黙って眉根をしかめた。
「全く、何をやっているんだ」
 こうして車を降りた愛と勇気の美少女戦士ぷりぷりプリン☆は、不肖の弟を探しに颯爽と深夜のゲームセンターの中へと乗り込んで行った。

 結局次郎はその間何をしていたのか。
 急いでトイレに入り、出て来るまでにかかった時間はほんの数分。しかしその後横を通ったUFOキャッチャーに貴重な美少女フィギュアが入っているのを発見し、兄の一大事のことなど一瞬で頭から吹っ飛んでしまった次郎はやっきになって取ろうと格闘していたのであった。
 五千円使った辺りでようやくそれを手に入れた瞬間、喜び勇んだ勢いで通り掛かりの不良にぶつかり、結果ただ今かつあげの真っ最中である。
「ああ、兄ちゃん!」
 賑やかなゲーム機がずらりと並んだフロアの中、椅子と自動販売機が設置された休憩コーナーの隅に群がる人影の間から間の抜けた中年の顔が飛び出す。
「お前、中学生じゃないんだから」
 柄の悪そうな少年達に囲まれて怯える次郎を見て、金色のツインテールをふるふると揺らし、こめかみに指を当てたぷりぷりプリン☆は溜め息をついた。
 山田兄弟は七つ歳が離れているので二人が同時に同じ学校に通ったことは無い。兄が柔道一直線の学生生活を送ったのとは対照的に、内向的でひ弱な弟は時々学校で苛められたり道端でかつあげされることもあったようだ。
 ようだ、というのは既に大学生だった一郎は部活とバイトで忙しく、思春期の悩める年の離れた弟とはあまり接点が無かったからである。
「何だこいつ?」
「おお、コスプレだぜ、コスプレ」
「うっわ、マジか。気合入ってんなー」
 色素と同時に知能まで抜けてしまったような軽そうな頭が、一斉にぷりぷりプリン☆の方を向く。
 相手が複数でもこんなこわっぱに負けてなるものかと、注目を受けた少女は左手を腰にあて右手で指差し眉根をしかめた。
「お前達高校生だろ。こんな時間に遊び歩いて、親御さんが心配しているだろうに」
「あん? お前だって中坊で援交してんだろ、俺達より全然すげえことやってんじゃん」
「なっ……」
 本人は四十五歳のつもりでも周囲から見れば高校生より年下のコスプレ少女に過ぎないわけで、不良少年達にとっては全く説得力の無い注意なのであった。
 よりによって「援助交際」と決め付けられてしまった一郎は、拳をふるふるとさせながら自分よりずっと背の高い少年達を睨み上げる。
「誰が援交だ!」
「こんなハゲの冴えないおっさんと一緒にいる理由なんて、金しかねーじゃん」
「なあおっさん、そんな金あるならさっさと俺達にカンパしろっつーの。このハゲ」
 三十八歳にしてやはり遺伝子に勝てなかった次郎の薄くなった頭頂部を二本指で抓み、耳と口にピアスをごてごてに付けている少年が面白そうに引っ張った。
「誰がハゲじゃーいっ!」
 そう叫んだのがやわい毛髪を引っ張られている次郎ではなく、美少女ぷりぷりプリン☆であったので少年達は驚きに目を見開く。
「ハゲじゃない、少し毛が細くなっただけだ! しかも援交だと? 世の中オヤジと若い娘が一緒にいると、何でもかんでもそう決め付けやがって。オヤジは年食ってる分だけお前らよりずっと偉いんだよ、味があるんだよ。毎日満員の通勤電車乗って世の中を税金で支えているのはそのオヤジなんだ。なのにちくしょう、寄ってたかってオヤジばっかり苛めやがって。世間はもっと俺達の存在意義を認めろってんだ!」
「はあ、おまえ何言ってんの?」
「お前言うな、税金も払ってないこわっぱが! 喰らえ、ぷっちんパンチ☆乱れ打ち!」
 ハゲの一言ですっかり理性のたがが外れたぷりぷりプリン☆は、素早い動きでパンチを繰り出す。
 細い腕からは想像もつかない本物の正義の味方の腕力に、少年達は簡単に吹っ飛ばされて壁に激突し、あるいは自動販売機にぶつかってこぼれ出た缶ジュースの雨に身体を打たれながら動かなくなった。
 一瞬やり過ぎたかと焦ったが微妙に全員動いているのを確認して安心すると、右腕を突き出しパンチを放ったままの格好で立ち尽くしていた一郎は小さく身震いをする。
「き、気持ち良い」
 学生の時の様に、柔道で綺麗に一本背負いを決めた時のようなこの爽快感。
 今までそれが一番楽で穏便に済むからと、何でも我慢して内に溜め続けていたうっぷんがスカッと吹き飛ばされたような気がしてぷりぷりプリン☆は会心の笑みを浮かべる。
 かと思った瞬間に身体が勝手に動いて、中国拳法の構えのような格好になった。
「甘いプリンだって時には苦いわよ。愛と勇気の美少女戦士、ぷりぷりプリン☆!」
 可愛い大声で言い切ったのは、まさに一郎自身の口である。身体と口が持ち主の意思に反して勝手に動いたのだ。 
「うひょう、さすがだよプリンちゃん!」
 腕を高々と上げて興奮する弟をよそに、当の本人はガクリと床に膝をついて脱力する。
「決め台詞までも強制とは……。正義の味方の素、恐るべし」
 しかし嘆いている暇も無く、やっと異変を聞きつけたのかゲームセンターの従業員が三人ほどこちらに駆けて来るのが視界の端に見えて、ぷりぷりプリン☆は慌てて立ち上がった。
「逃げるぞ次郎」
「よっしゃ」
 深夜のゲームセンターの中を駆け抜ける少女と、その後を必死でついてゆく背の高い中年男の一行は、その後暫らく利用者の中で伝説になったとかならなかったとか。

  
その三、本音はあのね

 赤い軽自動車は深夜の道を北上し、一郎がムチムチに出会った街にやっとのことで辿り着いたのは明け方も間近の五時になる頃であった。
 夜が明けて人通りが多くなれば、ぷりぷりプリン☆である一郎の行動が制限されるのは必至。いや、それよりも自身が激しく人目に晒されることを拒否しているのでこれはもうどうしようもない。
「ほらみろ、やっぱり高速使えば良かったんだ。大体お前がゲーセンで寄り道しなけりゃもっと早く着いたはずだし」
「夜中だから下道でもあんまり変わらないと思ったんだよう。大体兄ちゃんだって高速料金勿体ないって言ってたじゃないか」
 妻から支給される毎月の小遣いの額は、今のところ大暴落こそしていないが増えることもない。
 喫煙や賭け事をしなくとも外食回数の多い一郎の財布事情はいつもぎりぎりなので是非とも増やしてもらいたい所であるが、「住宅ローン早期返済至上主義」をスローガンに掲げる鉄の女に何を言っても無駄なことは火を見るよりも明らかであった。
 結局それ以上弟に文句を言うこともできず、ぷりぷりプリン☆は可愛い咳払いをしたあとに左前方を指差す。
「まあいい、とりあえずそこの銀行の駐車場に停めろ」
 ムチムチが倒れていた商店街はまだ夜明け前の静けさの中にいて、辺り一帯は車のライト無しでも視認できる程度の薄明かりに包まれたブルーグレイの景色であった。
 さすがにこの時間では飲み屋も全て閉店していると思いきや、大通りの方には何人かの人影が見える。
「ぬ、ぬぬぬ」
 車を降りてからそれに気付いた言動のおっさん臭い金髪少女は、駐車場の塀に隠れるようにして様子を窺う。
 後から降りてきた次郎もそれに続こうとすると、ツインテールが不意に振り向いて握り拳を差し出し、笑みを浮かべた。
「それ以上近寄るな、気色悪い」
「兄弟じゃないか」
「説得力が無いぞ。そのみっともなく広がった鼻の穴を何とかせんか」
 今度こそぷりぷりプリン☆に密着して匂いを嗅ごうとしていた次郎はでこピンの要領で鼻先を指で弾かれ、声にならない悲鳴をあげ悶絶しながら後退する。
 距離にして約三十メートル程。閉まったままの商店街シャッターや電柱の前でうろうろしている数人の人影は何かの作業をしているようだった。
「何してるんだ?」
 年恰好から、先ほどのゲームセンターで出会った不良少年達と同じ種類の人間らしいことがすぐに分かる。
 彼らは手に持った何かを嬉々として振り回し、商店のシャッターや看板、壁に向かって何かを書いているようだった。
「落書きか!」
 地下道や高架下などによく見られる、スプレー塗料で描かれたあの迷惑千万な落書きである。
 時には民家の壁にも彼らのマーキング行為は襲い掛かることもあり、それを報道番組の特集で見た一郎がテレビの前で一人憤慨していたのはつい先日のことだった。
 残りの労働人生の大半がマイホームの返済期間である一人の大人として、この蛮行はどうやっても見過ごすことはできない。
 全ての建築物は大人が頑張って手に入れた財産なのだ、何も分かっていない子供の遊び道具の一つにするなど言語道断なのである。
 既に一回ゲームセンターで暴れたせいか、一郎にとって正当な理由があればこの姿を人目に晒すことも、正義の味方として活動することも余り躊躇いを感じなくなっていた。
 しかし颯爽と立ち上がって歩き出そうとした瞬間、少女の肩をごつい手が掴んで引き止める。
 てっきり次郎だと思って舌打ちしながら振り向くと、そこに立っていたのはなんと全身青タイツを着たマッチョマンであった。
 探し求めていた人物の突然の登場に、一郎は口を半開きにしてその場に棒立ちになる。
「やあやあ。正義の味方オーラを感じたと思ったら、もしや先日の恩人殿ですか?」
「お前はムチムチ!」
 兄とタイツ・マッチョマンを見比べつつ、少し離れた所に立っていた次郎が「え、むちむちって名前だったのか」と小さな声で呟くのが聞こえる。
「それにしても随分と可愛らしく変身なさったんですな、これが地球の流行なのかな」
「不可抗力だ」
 首を傾げるムチムチに、顔を顰めつつも一郎は短く答える。
 それにしても探しても見つかるか分からなかったのに、自分から姿を現すとは何という好都合。だが今はあの落書き小僧どもにお灸を据える方が先である。
 先を急ごうとした一郎に、ムチムチが更に言葉を続けた。
「何にしても早く変身を解除なさった方が良いですよ。そろそろ時間が切れる頃の様だし」
「え?」
 ムチムチに指差されて胸元の大きな茶色いリボンを見ると、中央に付けられた青いガラス玉がいつの間にか赤く点滅しているではないか。
「ウルトラマンかよ!」
「うると……まあとにかく、分かり易くていいでしょう?」
「いいよ、変身が解けたらまたあのカロリーブロックもう一本食べるから」
「いやいやいや、そういう問題ではないのです。時間を越えて強制解除になると、色々と弊害が」
「何だ、その弊害って」
「体質によってそれぞれですから、なってみないと私にも分かりません」
 どんな時でも白い歯をキランと光らせながら喋るタイツ・ダンディに苛々しつつ、一郎は尋ねる。
「説明書には解除ダンスとやらの詳細は書いてなかったぞ、じゃあさっさと教えてくれ」 
「お安い御用ですとも。いいですか、こう腕を組んで……」
 腕を組んでそのまま中腰になったムチムチに習い、一郎も同じ格好になる。
「まず、右足を伸ばし」
「ふんふん」
「伸ばした足を戻すと同時に、反対の足を出すわけです」
「なるほど」
「これを繰り返してゆくだけです、簡単でしょう?」
「って、コサックダンスかよ!」
「地球にも同じダンスがあるのですか、奇遇ですなあ。ちなみにこれを百回ですが、筋力強化されている状態なら大した負担にはなりませんから」
「ひゃ、百回……」
 一瞬ぷりぷりプリン☆は可愛い口元をひくつかせたが、結局体勢は戻さずそのまま解除ダンスを勢いよくやり始めた。
 十回、二十回と軽快にリズムを刻み続ける足元。背筋を伸ばし気分はすっかりコサック兵……と言うわけには行かないが、目線で落書き少年達の動向をチラチラと確認しつつ、このままのペースで行けば一分もかからずに終了するかと思われたその矢先であった。
「うっ」
 突然動きが止まり、両腕を組んだままぷりぷりプリン☆が横倒しに倒れこむ。
「大丈夫か兄ちゃん!」
「大丈夫だ」
 言葉での応対とは異なり、実際ではすかさずミニ丈ワンピースの下を覗こうと駆け寄った次郎の大きな顔面に兄の足の裏がめり込んだ。
「こ、腰が」
 一郎はそうこぼしながら片手で腰部をさすり、のろのろと起き上がる。
 正義の味方の素の効能は、外的衝撃に耐えられるように微弱バリヤーが筋肉と骨を守るが元々の持病を改善するには至らない。
 一郎はすっかりそれを忘れていたわけだが、コサックダンスにより一気に腰に負荷がかった結果、雷の様な一撃が彼の腰を走り抜けたのだった。
「まだ半分残っているのに……いかん、このままでは奴らに逃げられてしまう」
 額に変な汗を浮かべながらも再び中腰になりかけた一郎に、頭を掻きながら眉根を寄せて次郎が呟く。
「そんなに無理することないよ兄ちゃん。自分ちにいたずらされたわけじゃないんだしさ、解除の仕方も分かったんだからそれゆっくり済ましてもう帰ろうよ。どうせあいつらは何言っても聞く耳持たないんだから言うだけ無駄だって」
「悪いことは悪い。大人が子供を叱ってやらなければ、誰が教えるというんだ」
「でも兄ちゃんいつも言ってるじゃん。『面倒事は黙って通り過ぎるのを待つのに限る』ってさー」
「馬鹿、それは家の中だけのことであってでな」
「へ、限定なの?」
 弟の意外そうな表情に一郎は何となく言葉を無くした。
 そうだ、どうしていちいち態度を使い分ける必要があるのだろう。そう考えた瞬間から、自分の行動の矛盾さを自覚してしまったからである。
 毎日の仕事で疲れているから、家に帰っても妻の小言を聞きたくない。だから黙る。
 しかしどちらにしても妻の小言は増えて、一郎の帰宅時間は仕事のせいもあるが自然と遅くなりがちになった。
 そして帰る前に電話をすると「またそんなに遅いの?」と言われるので、やがて何の連絡もせずに外食をして帰宅することが増える。
 これでは当然作る方も面白くない。そして結果、今日の様に晩飯が用意されていないという状況が発生するわけである。まさに悪循環極まれりだ。
 家に帰りたくない、家に帰りたくないと思っているのは特定の一人が原因なのではない。自分のせいでもあるのだと。
 だが帰りたくないと思っていた割りに、今夜の一郎は変身を解いて家に帰るために奔走していたではないか。
「は、はは」
 そしてあの少年達の親だって夜遊びしている子供のことを心配しているに違いない。家で待っている人がいるのなら、誰もがみな早く帰るべきなのである。
「そうだ、俺は方法を間違っていたんだ」
 万能だと思っていた「見ないふり、聞かないふり」は、結果的に何も解決しないばかりか事態を悪化させるものであった。
 深夜にこっそり行われる落書きの犯人が捕まることはまず殆ど無い。この機会を逃せば、彼らはまだまだこれからも何も考えることなく同じことを続けてゆくのだろう。
 たかが落書きであるが、されど落書きなのである。
「駄目なんだよこれじゃあ」
 正義の味方として。いや、地球に住むいち大人としての自分の立場に目覚めたぷりぷりプリン☆は、大きな瞳に強い光を宿らせて立ち上がる。
 次郎が再び声を掛けようとした時には既に少女は疾走し始め、一陣の風となって不良少年の一群へと突っ込んで行ったのだった。

「あーあ、行っちゃった。………………ねえ、あんた何してるの?」
 銀行の駐車場に残された次郎が振り向くと、ムチムチと呼ばれていたマッチョマンは何故か真っ直ぐ空を見上げながら黙って立ち尽くしている。
 足を肩幅に広げ、両腕をガッツポーズの要領で曲げると鋼の上腕筋がムキムキと盛り上がって存在感を主張した。
「ふん。むん。ほう」
 一声ごとに格好を微妙に変化させながら各所の筋肉を隆々とさせる様は、間近で見ていてあまり気持ちの良いものではない。
 しかし青い全身タイツのボディービルダーの目は大変真剣に空を見上げていたので、それ以上気弱な次郎には突っ込むことができないのであった。


その四、激闘、クライマックス

 朝を迎える直前の静かな商店街を駆け抜ける、一つの小さな人影があった。
 衣料品店のシャッター前に群がった、塗料用スプレー缶を手に持つ五人の少年たちはそのただならない気配を察して一斉に振り返る。
「何だあれ」
「新聞配達?」
「違うだろ、あれガキだぜ」
「外人?」
「コスプレだろ」
「俺知ってる、ぷりぷりプリン☆だ」
 風になびく金色のツインテール。クリーム色のミニ丈ワンピースの裾が翻り、垣間見えるのはぷりぷりプリン☆自慢の美脚である。
 あっという間にその少女が彼らの元へ近づいてくると、振りかぶった細腕がしなって唸りを上げた。
「落書きもれっきとした犯罪だ、子供はさっさと家に帰れ。ぷっちんパンチ☆!」
 その一撃で一番前の方にいた髭面の頬を抉り飛ばし、すぐ後ろにいた鼻ピアス男も一緒に後方へ吹っ飛ばす。
「何しやがんだ、てめえ!」
 怒気を顕にした大きな手が金色の髪を掴みにかかったが、少女はすんでのところでかわすとすれ違いざまに足払いをして、ニット帽の男をアスファルトの上に転がした。
 上向きで倒れているところに、ぷりぷりプリン☆が勢いよく上から腹部めがけてジャンプする。 
「解決の一歩はコミュニケーションから、ぷるんアタック☆!」
「うぎゃー!」
 可愛いヒップが食い込み、ニット帽の男は身体をぴくぴくさせながら白目をむいた。
 これで動かなくなったのは三人。残り二人は仲間があっという間に蹴散らされるのを目の当たりにしたせいか、警戒しながら間合いを取っているようである。
 視線をめぐらしたぷりぷりプリン☆の大きな両眼に、まだ動き出していない街並みが映った。
 灰色一色のシャッターに殴り書きされた意味不明のアルファベット。看板の絵の上に落書きされたキャラクター絵。街灯の支柱にいたずら書きされた色とりどりの記号の羅列。
 幼稚園児以下の発想と、作品の低レベルさ。
 この縄張りの証がどれだけ他者の目に汚い景観として映るのかということなど、彼らは全く考えたことも無いのだろう。一郎は黙ってため息をついた。
 するとまたしても少女の身体が勝手に動き始める。人差し指だけを伸ばして残りの指を組み、まっすぐ空へ向かって腕が伸ばされる。
 爪先立ちになったかと思うと右膝を曲げて片足立ちになり、ぷりぷりプリン☆は何とも奇妙なバレリーナもどきな格好になった。
 左だけの爪先立ちのままその場でドリルのように回転しだすと、それはあっという間に周りの大気を巻き込んでつむじ風を巻き起こす。
「カラメルーしぇいく☆!」
 つむじ風が小さな竜巻になり、倒れた少年たちと残りの二人を巻き込んで身体を浮き上がらせた。
「うあああああ、助けてくれー!」
 すると不思議なことに、シャッターや看板、街灯や壁に描かれた落書きのペンキ部分が剥がれ落ちて渦の中に吸い込まれてゆくではないか。
「解説しよう。これはぷりぷりプリン☆の宿敵、クサイダー軍団が一般人への有害毒素『オヤジシュー』を撒き散らした際に、いち早くそれを除去するために編み出されたミラクル技である。でも今回はちょっと変則的な使い方かな」
「弟殿、あなたは誰に解説しておられるので?」
 既に謎のポージング行動を終えたムチムチが目をぱちぱちさせながら隣の次郎を見つめると、右人差し指を立てて神妙な表情で語っていた次郎は薄ら笑いを浮かべた。
「え、だって特撮物やアニメじゃ必須でしょこういうの。一回やってみたかったんだよねー、へへへ」
 傍観者のやり取りなど聞こえるはずも無く、少年達はまるで洗濯機で洗われるようにぐるんぐるんと回された後、ようやく竜巻の中から弾き出される。
 尻や背中を打ち付けて始めは悶絶していたが、やがてお互いの異変に気づき少年たちは衣服をそれぞれに見て声を上げた。
「うげ、何だこれ」
「あーっ、このジーパンビンテージなのに!」
「髪が、俺の金髪がー」
 街並みから剥がれ落ちた落書きのペンキ分が、竜巻の中で少年たちと一緒にシェイクされて髪に衣服に肌にと様々な箇所に引っ付いていたのだった。
 先に受けた身体的ダメージも大きいが、ペンキまみれにされてしまうことも意外に精神的ダメージが大きかったらしい。
「まだやるか?」
 少年たちは何とも情けない顔をして立ち上がると、まだやる気まんまんのぷりぷりプリン☆には目もくれずお互い無言で顔を見合す。
 そして背を向けると、とぼとぼと歩き出すのであった。
「ふむ、やっと懲りたかな」
 ぷりぷりプリン☆がそう呟いた時、建物の隙間からまばゆい光が溢れ出てグレーの空を白い色に染め上げる。東の空から顔を出したばかりの太陽が、一日の始まりを皆に教えたのだ。
 落書き犯は懲らしめたし、何よりも偶然発動したヒーロー技で人目につく前に街の落書きも一緒にきれいになった。
 何だか大変な一晩ではあったが、一郎の心はどこかすっきりとして清々しい。しかしそんな感慨に浸っていると
「甘いプリンだって時には苦いわよ。愛と勇気の美少女戦士、ぷりぷりプリン☆!」
 またしても手足が動いて構えをとらされ、勝手に口が決め台詞を叫んでしまい脱力する一郎であった。
「うう、これは何とかならんのか。…………あれ?」
 呟いた声が、少女のものではなく野太かった。思わず口元に当てた手の平はごつく、視界に入る袖はワイシャツの白とスーツの灰色である。
「戻ったのか……ああ、時間切れか」
「皆に何しやがる、この変態オヤジめ!」
 すると、一瞬呆然としていた一郎の後ろから突然声がした。
 振り向いた先にいたのは、コンビニのビニール袋を振り回しながらこちらに突進してくる茶髪少年である。
「な、まだいたのか」
「腹減ったから飯買いに行ってたんだよ!」
 変身の解けた今の一郎は、腹の出たただの中年オヤジに過ぎない。しかし一夜の正義活動が彼をここから無様に逃げ出すことを躊躇わせた。
 飲み物のビンか缶か、何か硬いものが入っている様子のビニール袋が唸りを上げて一郎に襲い掛かる。
 恐怖で思わず瞑りかけた目はオヤジのど根性でこじ開けた。
 戦いの前のスクワットの後遺症か、今頃また腰が痛み出して足元がおぼつかない。
 しかし動かなくても、動かさなくてはならない時がある。それが今だ。
 一郎の右手が伸びて少年の襟元を掴むのと、微妙に狙いがずれた少年の買い物袋が一郎の左肩にぶつかるのはほぼ同時であった。
 ぐらつきそうになる身体をなんとか踏ん張り、相手の襟をしっかりと掴んだまま身体の向きを九十度変えて横向きになる。そして持てる全ての力を爆発させた。
「オヤジの一本背負ーい!」
 朝日が降り注ぎ始める人気の無い商店街の中、茶髪の不良少年が一人宙を舞う。
 こうして派手な衝撃音と共に、一郎の正義な長い一夜はやっと終わりを告げたのであった。


「ねえ兄ちゃん、いい加減家帰らないと。静さん怒らすと怖いしさあ」
「もう遅い。朝帰りの時点で敵は既に臨戦態勢だ」
「でもこのまま帰らない訳にはいかないだろ?」
「まあそうなんだが。しかし……なあ」
 すっかり日は昇りきり通勤時間がひと段落した住宅街。その片隅に停車する赤い軽自動車の窓から、次郎が大きな頭を突き出して路上の兄を見上げた。
 一郎は自宅まであと十メートルというところで、歩いては立ち止まり、また引き返しては立ち止まるということをずっと繰り返している。
 すっかりくたびれたスーツに薄汚れたワイシャツ。腰は痛いし、買い物袋をぶつけられた左肩は腫れて熱を持っているし、徹夜の疲労がピークに達して正に一郎の身体は満身創痍である。
 今すぐにでも家に帰って睡眠を貪りたいところではあったが、しかし状況はそう簡単には行かないだろう。
「解決の一歩はコミュニケーションから、なんでしょ?」
「ぬう」
 妻は怖い。しかし避けて通れない道であることは一郎も重々承知だ。
「だがコレはどうやって説明すればいいんだ!」
 一郎は頭にすっぽりとタオルを被っており、ほっかむりの下から揺れる毛束を摘んで唸り声を上げる。
 指の先にあるのは一郎の柔い薄毛ではなく、完璧キューティクルの金色をしたツインテールの先っぽであった。
 時間切れによる変身の強制解除の副作用により、腹も出て顔も老け、他はすっかり中年男に戻ったというのに頭部だけがぷりぷりプリン☆の名残が残ってしまったのである。
 一番最後に襲い掛かってきた少年が一郎の事を「変態オヤジ」と罵っていたが、確かにこの姿ではそう呼ばれても仕方ない。
 自分の中では格好良く一本背負いを決めたあの一瞬が、傍目から見た引き画面を想像しただけで思わずむせそうになるのであった。
「参ったなぁ」
 髪先をくるくるといじりながら溜め息が漏れる。これはもういっそ、夢にまで見た「髪がふさふさ」という状況に喜ぶべきなのだろうか。
「いや、無理だろそれ」
 腹の出た金髪ツインテールサラリーマンはやはり数歩自宅へ足を進めながら、また苦悩しながら後退するのだった。
 一郎のスイートホームは、未だ近くて遠い。
 
 ◇

「いやー、今回は本当に大変だった。しかしタマと連絡をつける三日の間に思いがけず地球を堪能できたのは良かったかもしれないな。良い御仁にも出会えたし」
 勝手に主を強制排出した輸送宇宙船「タマ」を何とか筋肉信号なる遠隔操作で呼び寄せ、再び操縦席に座ることに成功したムチムチは割れた顎先に指を当てて小さく首を揺らす。
「大変ではあったが、まだ配送が残っているからな。遅れを取り戻すためにも休むわけにはいかん。君は見たかあの勇姿を♪ 僕らの星を守る、正義の味方ー♪」
 そしていつものように、ムチムチはお決まりの自社テーマソングを口ずさみ始める。
 しかし大きな身体を揺らしながら次なる配送先へ航行データをいじっていると、彼の耳に機械声音が注意を促すようにして飛び込んでくるのだった。
「ピー、在庫確認中、在庫確認中。船内から移送装置により、商品が一点理由不明にて持ち出されています」
「ああ、あれは試供品だ。私が恩人にさしあげた分だから問題はない」
 そう言いながら「移送装置」である全身タイツの股間部分をぽんとひと叩きしたムチムチであったが、メインコンピュータの次の報告を聞くと一瞬で顔色を変えるのだった。
「持ち出されたのは試供品ではなく正規品です。不足分は自動的に本社に情報が転送され、給料から天引きになります」
「なにい、そんなバカな! あれ結構高いんだぞ」
 思わず操縦席から立ち上がり、ムチムチは機械相手に抗議する。
「私には関係ありません。大体、そんな場所に転移装置を付けているから誤作動が起きるのでは? バーカ、バーカ」
「ぬぬぬぬ。機械のくせにこのムチムチ様に対してその暴言、許すまじ」
「仕方ありません、何しろ私のプログラミングを設計したのはあなたの奥方ですから。二日前にメールも届いてますよ『いつもいつも仕事で家を空けくさりやがってこの筋肉バカめ。今日が結婚記念日ということを忘れたの? ちんたらやってないで早く帰って来い』だそうです」
 メインコンピュータから「妻のメール」という思いがけないカウンターを食らったムチムチは、その衝撃のあまり口を半開きにしたまま凍りつく。
「わ……忘れてた」
「ご愁傷様です」
 冷や汗をだらだらと流しながら、ダンディ・タイツマンは四方八方に視線を泳がせた。長い沈黙の後、ようやく諦めたかのように再び操縦席に腰を下ろす。
「き……君は見たかあの勇姿を♪ 僕らの星を守る、正義の味方ー♪ …………僕を助けてー、ぷりぷりプリン☆ーっ!」
「――何ですかそれ」

 どうやら、どこの世界でもオヤジが大変なのは一緒のようである。合掌。
 
<ぷりぷりプリン☆(完)> 
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