エピローグ
 フォルマン国と隣国ドーフィネスを巻き込んだ、魔術師メタニヤフの騒動はひとまず収束した。
 しかし深く関わっているのが王族のため、真実は一部の者のみが知るところとなるであろう。逆に歴史書に大々的に書き込まれることになるのは「銀の竜に乗った賢者が、城に入った魔物を見事に倒した」という華々しい物語である。
「長生きはしてみるものだなゲトリスク。賢者などと呼ばれたのは初めてではないか、ふふ」
 魔物退治の功労者として城でもてなしを受けたゲトリスクは宴を早々に辞し、与えられた部屋の続き間で風呂の準備が成されるのを夜の露台で椅子に腰掛け待っていた。
 ヘルミーネが昔使っていた部屋の火事は何とか延焼せずに収まり、ティアから全てを聞かされたフランツ三世はゲトリスクに賢者という称号を与えたのである。
 歓迎の宴は大変盛大なものであったが、第一王女と第二王女は疲労にて揃って寝込み中。主賓のゲトリスクが抜けた後は、直接事件に関わりの無かった者達が母国の無事を祝って今頃騒いでいることであろう。
 年配の侍女が続き間の向こうから姿を現し、風呂の準備が整った事を告げた。背中を流す介助のため侍女がゲトリスクの後に続こうとすると、黒衣の魔術師は眉根をしかめながら振り返る。
「世話は要らぬ」
 侍女は内心首を傾げたもののそこは熟年の機転ですぐに頷き、用がある時はまた呼んでくれと言い残して部屋を辞した。
 室内に誰も居ないことを確かめると、ゲトリスクは風呂桶の側に用意された椅子の側で衣服を脱ぎ始める。
 黒衣の下に隠れていたのは、青い上衣と黒のズボン。そして更にその下に隠されていたのは、胸の中心に刻まれた不可思議な模様であった。
 円の中に十字に配列された丸い黒点、それを繋ぐ様に絡まる蔦の文様。それはいつかの月夜の下、ティアが目にしたものと寸分違わない。
 白髪を束ねていた紐を解くと、ゲトリスクは右中指に嵌めていた銀製の指輪を外した。脱いだ服を引っ掛けた椅子の上に寝そべるセーンが小さく笑う。
「湯に入る時は、やはりその姿でなければ嫌と見える」
「皺しわの皮膚のまま洗っても、どうもすっきりしない。まあいいだろ、誰も見ていないんだから」
 白髪は黒髪へ、しわがれた皮膚はみずみずしい若者の肌へ。指輪を外した途端、どういう仕掛けなのかゲトリスクはクロウの姿へと変貌していた。
 何か考えるところがあったのか、クロウは壁に立て掛けておいた樫の杖を手に取ると銀の指輪を取っ手の窪みへと嵌め込む。すると一瞬のうちに、杖は白銀の槍ブリューナクへと姿を変えた。
 槍を梁と梁の間に引っ掛け、クロウは脱いだローブを幕の様にしてそこに掛ける。
「どうだ、これなら突然誰かが入って来ても見えないだろう」
「こんな使われ方をしては神槍ブリューナクも形無しだ。光の神ルーグが情け無さにどこぞで泣いていよう」
「人の命を奪うだけが能ではないことを知って、意外に喜んでるかもしれないぞ」
 軽口を叩きながらクロウは湯船に浸かり、セーンは呆れたように長い顎下を椅子にぺたりと引っ付けた。

 遥か昔。いにしえの時代と言われる程気が遠くなる昔に、大陸の果てに存在すると伝えられる伝説の島アヴァロンがあった。
 アヴァロンは周囲の国と一線を画し、殆ど交流を持たず孤高の存在を保ち続けていた特殊な国である。その理由は、土着の民の殆どが普段の生活の中で魔術を操るという魔術国家であったからだ。
 他国の侵攻を受けず国家が繁栄し続けてこられたのは、アヴァロン王家が代々守り続けてきた神器「神々の記憶」の恩恵を多大に受けていたことによる。
 アヴァロンの王族、特に君主となる者は神祭や儀式で祭主として魔術を扱う任を帯びていたため、当時十九歳だった王太子クロウ・ナ・アヴァロンもまた魔術の英才教育を受けて育った王子であった。
 だが「神々の記憶」についてアヴァロンの民はその存在を知っていても、実際その目で見た者は皆無である。
 それは王太子であるクロウにとっても同じ事で、神器が安置されている禁忌の場所は父である王と大神官のみしか入ることを許されていなかった。
 若くそして才気に溢れた王太子は自らの驕りと好奇心のままにその禁を犯し、王城の奥深くに眠る「神々の記憶」に触れてしまったのである。
 すると神器から力の一部が噴出し、クロウはなす術もなく吹き飛ばされた。アヴァロンという国家は一つの独立した島の上に成り立つ国であったが、それから数日と経たぬ内に砂山が崩れるが如く何と島は海中へと没してしまった。
「神々の記憶」の力で島は外敵から守られ、そして自然の脅威からも守られていたのだ。
 神器を冒涜した報いとして、クロウは「神々の記憶」から噴出した力の一部「鍵」を身体の中に取り込み不老の身体となった。
 王太子でありながら国を滅ぼし、かしずかれる生活から一転食うや食わずの流浪生活を強いられる中で、時に自ら死を望んだ事もある。だがそのたびに胸に刻まれた「神々の記憶」の印がクロウの身体の自由を奪い、苦境で生きる事を強要するのだった。
 やがてアヴァロンという国が伝説化すると、かつて「神々の記憶」から噴出した力の破片の結晶ゴイルの印に誘導され、魔術師達が鍵を身体の内に持つクロウを探し始めるようになる。
 あの神器は今でも深い海の底から、失った自らの力を再びクロウごと併合しようと求めていた。
 後から後から湧いて出る、アヴァロンに夢を追う魔術師達。その追撃を逃れるように放浪生活を送るクロウ。
 その壮大な鬼ごっこは既に八百年以上続けられ、王家のもう一つの宝、光の神ルーグの槍と伝えられる神槍ブリューナクと、使い魔のセーンと共に気が遠くなるほど長い時間を生きてきた。
 光の神ルーグはアヴァロンの民が信仰する神々の主神であり、メタニヤフを最後に消し去った古代魔術でクロウが力を借りた神様である。
 そしてブリューナクは「神々の記憶」と共に禁忌の場所に安置してあった神器であったが、クロウが弾き出された時偶然一緒に飛ばされて以来の相棒であった。
「ティアには何も言わぬのか」
「嘘はついていないぞ。俺の祖父の名前は確かにゲトリスクだからな」
 ブリューナクはただの槍ではなく、力の指輪というものと対になっている武器であった。てっきり筋力でも付くのだろうと嵌めてみると筋肉隆々になるどころか逆に老人化してしまい、その時は慌てて外したクロウである。
「しかし若い姿のまま旅をしていると思わぬところで顔を覚えられた人間に出合ったりする、それも何十年か後に」
 そうすると始めから老人形の方が少なくとも違和感は薄れるし、ゴイルの印を持った魔術師の目も掻い潜れるので、身を隠しながら旅を続けるクロウにとってはかえって都合の良い道具となった。
「クロウは術が下手だからな」
「言われなくても自覚している」
 トカゲの一言にクロウはむっとする。以前ティアに語った通り、彼が魔術を苦手とするのは本当の事である。力の加減が致命的に下手なのだ。
 時には残りかすのように不発に終わる時もあり、オーギュスタンの離宮を破壊したように暴発する事もある。
 だが不思議な事に、指輪を嵌めて老人形になるとどんな術も上手く扱えた。実際に身体が老いるだけではなく精神的にも何らかの作用があるようで、不必要に人を近づけないよう少しは演技も入っているものの自然と厳しい頑固じじいに変貌するのはその賜物なのだった。
 とどのつまり指輪に付けられた名の「力」とは、筋力に限らずあらゆる意味を含めた力であるのだろう。
「ティアのゴイルの印を砕いたあの時、わずかに呪詛の残滓を感じたそなたは私にティアを守るように言ったな」
「お前だって俺があいつを国境に残して去った後、散々危ないと脅しをかけたではないか。あれがいけなかった、あそこで引き返していなければこんな面倒に巻き込まれる事は無かったんだ。しかもトゥールに入った途端予告も無く合流してくるし、危うくぽろっと漏らす所だったんだからな」
「だから引き返す時は私が送ってやったろう」
「俺の馬も一緒に運んでくれれば文句は無かったんだが」
「我の背にそんな家畜を乗せられるか愚か者。迂闊にもそなたが真の姿をティアに見られたあの夜、私がゲトリスクの振りをしてやった恩を忘れたか」
 クロウが水浴びをしている所をうっかり見つかってしまったあの時、実は中くらいの大きさにもなれるセーンが先回りをしてそれらしく見えるよう毛布に包まって誤魔化していたのだ。
 もしもティアが確認しようと毛布を剥がしていたら、中から巨大なトカゲが現れて仰天していたところだろう。
「ふふふ」
「何がおかしい」
「共に旅をする者が一人増えただけで、なかなかに面白い日々であったではないか。いや、あの娘だからこそ面白かったのか」
 セーンの言葉にクロウは溜め息をつき、大きな手で湯を掬ってはまたこぼす。
「その分いつもより厄介ごとも増えたけどな」
「何だかんだ言っても見捨てなかったくせに」
「ま、一度は弟子に拾ってしまったからな。仕方無いだろ」
 するとその時、部屋の扉を叩く音がして二人の声が途端に途切れる。新しい着替えを持って来たと言いながら先ほどの年配の侍女が中に入り、一つの籠を床の上に置いていった。
 湯船に浸かったままのクロウは掛けたローブに隠れるようにして微妙に位置を移動していたが、本当に隠れられていたのかどうかは微妙なところである。
 実際部屋を後にした侍女は、何度も首を傾げながら廊下の向こうに消えていったのだから。

 ◇
 
 翌日。午前の内にフランツ三世に暇乞いをして、日が中天に昇る頃ゲトリスクは城を発った。
 フランツ三世はもう少し城に留まるように誘いを掛けたが、それを素直に受けるゲトリスクではない。では去る前に報奨をとらそうという王の言葉に、「ならば百ディール(金貨)を」と魔術の師匠は答えたのであった。
 一緒に与えられた立派な馬に跨り、セーンを左肩に乗せたゲトリスクは街道を進んでゆく。
「今度はどこへ行く?」
「そうだな。もう一度北というのも何だから、東へ向かうとしよう」
「カターニア国ですか。あそこは商人の国ですから首都のノヴェラは何を食べても美味しいんですよ!」
 どこかで聞いたことのある威勢の良い声に、ゲトリスクの眉間の皺が深くなる。すると斜め前方の建物の影から、旅装姿のティアが馬に乗って現れるではないか。
「何故お前がここに居る」
「そりゃ私は師匠の弟子ですから」
「そういう問題では無い。まさかまた出奔か」
 するとティアは、得意げに胸を張りそれを否定した。今度はちゃんと父王に許可を取った上での「遊学修行の旅」なのだと自慢げに言い切る。
「本当は王位継承権も返上しようと思ったのですが、それは父上や周りの者に断固反対されまして」
 そんなことは当たり前だろうと呆れ顔のゲトリスクに、ティアはやや苦笑してみせる。
「逆恨み魔術師に操られていたとはいえ、あの一件で姉上の心に負担が掛かるのは避けようがありません。一度私達姉妹はお互いに距離を取り、自分を見つめ直すことも有用かと考えたのです。それにいずれどんな立場でも国の為に生きる責務を捨てられぬなら、その前に私はもっと広い世界を知ってみたいし学んでみたい」
 しかもこのティアの願いを、その場に居たオスカーがフランツ三世に口添えしてくれたのである。あの堅物のオスカーが。
「それで最終的に『一年くらいならば、賢者殿と一緒であるし』と父上もしぶしぶ許して下さったのです」
「一年? お前は一年もワシに付き纏うつもりか」
 あからさまに嫌そうな表情を見せるゲトリスクに構うことなく、ティアは自信満々に言い切った。
「最初の契約をお忘れですか。修行期間は一年、その報酬として百ディール。既に師匠はその百ディールを受け取っているのですから、私には一年間修行を受ける権利があるのですよ」
 するとゲトリスクは止まっていた馬を再び歩かせ始め、慌てたようにティアもその後を追う。
「知らぬ。あの契約は随分と前に破棄したからな」
「ぬ、それこそ無効ですよ。私の事情はもうすっかり知っている訳だし、助けに来てくれた事が何よりの証拠じゃないですか」
「あれは依頼されたからだ」
「依頼されても嫌なら師匠はてこでも動きません」
 依頼されてもされなくても、本当はクロウもゲトリスクも一緒なのだから内情はなかなかに苦しい言い訳である。
 馬上で言い合いをしながら東へと進路を取る双方を見やり、ゲトリスクの肩に乗ったセーンは笑った。
「諦めるのだなゲトリスク。この娘の師匠になることは既に十数年前から決まっていたようなものだ」
「どういう意味だ?」
「さあ?」
 師弟はそれぞれにトカゲを見やり、首を傾げるのであった。


 ティアが飛び出したフォルマン城では、未だ寝台から起きられぬウェリフィンをオスカーが見舞う。
 背中に大きな羽根枕をあてがい従兄を迎えた第一王女は、昔と同じ澄んだ瞳と優しい雰囲気を取り戻していた。
「そう、行ってしまったのですね」
「はい、行ってしまいました」
 何やら清々しそうに微笑を浮かべるオスカーを見て、ウェリフィンは青い瞳を瞬かせる。
「その魂が自由であるからこそ、ティアはティアでいられるのだと今更ながら気付いたのです」
 自分が真似できないゆえに、人はそれに惹かれ憧れる。不安は否めなかったが、フランツ三世にティアの後押しをしたのも本心からの行動であった。
「わたくしはティアこそがこの国を継ぐのに相応しい者だと思っています。いえ、これは今回の事は関係なく、それ以前から思っていたことなのです。でもあの子が聞けば、あっという間に眉間に皺を寄せて『冗談じゃありません』って言われてしまいそうですけれど。ふふ」
 緩やかに、穏やかに。久方ぶりのウェリフィンの見舞いの席は、幼い頃よりもずっと柔らかな空気に満たされていた。残念な事は、ここに一番元気に喋るティアナ姫が居ないこと。
 そんなふうに昔の事が思い出されると、オスカーは小さく身体を揺すりながらふいに笑い出した。
「ティアが武術を習いたいと言い出した時の事を覚えていますか、ウェリ」
「ええ。攫われそうになったところを通りがかりの剣豪に助けてもらったのが、余程印象深かったようですね。それはもう、あの頃毎日の様にあの子に聞かされましたから」
「あの時ティアを救った若い男は、それは見事に槍を操る者だったそうです」
「あら、そうだったかしら?」
 ウェリフィンが思わず首を傾げるのには理由がある。
 当時弱冠五歳だったティアナ姫は、命の恩人に憧れて同じ槍を習いたいと武術の師に言った。だが身体が小さいのにも関わらず、大人が鍛錬に使うのと同じ長さの棒を無理に使いたがるので修行が進まないばかりか姫に生傷が増えるばかり。
 言い出したら聞かないやんちゃ姫にほとほと困った師は、女官長と相談してある一計を案じたのである。
「ティアの世話をする侍女達が皆揃って、ことある毎に『助けてくれたのは剣術使い』と吹き込んだのですよ」
「まあ、それでティアは本当にそれを信じてしまったの?」
 一日目は訂正して回っていたが、それも三日、四日と続くうちに「あれ、そうだったかな?」と記憶の改ざんがあっさり成されてしまったらしい。所詮は幼子の記憶というべきなのか、ティアだからこそ成せる業なのか。
 そうしてティアとオスカーの武術の師匠は、小さな姫に短い棒を持たせることに成功し修行再開と相成ったわけである。
 ひとしきり笑った後、ウェリフィンは開け放たれた窓の向こうに広がる青い空を見上げながら呟いた。
「一年後にあの子がどんなふうに瞳をきらきらさせて帰ってくるのか、今から楽しみですね」

 その同じ空の下、ティアは未だ納得していない様子のゲトリスクを追いかけるように馬を併走させる。
 久遠のアヴァロンは伝説の中にあるからこそ永遠に人々を魅了し続ける。流浪の魔術師とへっぽこ弟子の周遊の旅は、まだまだ始まったばかりだ。


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